大相撲力士の暴力沙汰

昨年来ビール瓶で貴ノ岩が頭を日馬富士に殴打された事件が発生し、大相撲協会の対処に対する姿勢、加害者の引退、被害者の親方である貴乃花の処遇に関し世間の耳目を集めた。

 ところが被害者である貴ノ岩が最近付き人である力士に暴力を加え、またまた大きな問題を提起している。自分が暴力事件で負傷し周りに多大な波紋を広げたその本人が逆に暴力沙汰を起こした。

テレビに出演した元大相撲力士は自分が現役の力士で地位が下のころ毎日50回も殴られたと告白した。何故上位の力士が下位の力士に簡単に暴力を振るうのか、同テレビ番組に出演した解説者が皮相な意見を述べているが納得はできない。

 他のスポーツ、レスリング、アメリカンフットボールその他においても純粋な力による暴力ではないが、暴力と同種類のいじめが多発している。

 一つには指導者が現役の選手だったころに同じような仕打ちを受け、練習の現場ではそのような状態が変わらず存続していたと考えざるを得ない。

 話を膨らませると会社や学校などの大組織でもいじめは常態的に発生し、根絶する努力はされているがその方法が適切でないか、生ぬるいのかあるいは加害者の将来がないような処置をできないのか、いじめは減るどころか増える一方である。

 人は動物である。では人以外の動物は他の同類の動物をいじめるのか。答えは多分「ノー」であろうと思える。動物が暴力を振るう場合は生きるための食料を求めるか子孫を残すために雌を求めて雄同志が一時的な闘争を繰り広げるだけに過ぎない。

 人は他の動物と違い脳が巨大に発達した。この脳は動物が持つ本能を満足させるだけでは足りず、脳自身の満足のためにも働く。

 それは余暇の活用、文化の創生、他の人への助力など人ではならぬ良好な使い方がある一方、殺人、自然の破壊、動物への虐待、殲滅など悪辣非道な使用をする場合にも使われる。

 いじめは人という存在の持つ宿命がなせる業であるとも考えられないだろうか。巨大な脳を持つが故に人は人を助け、反面攻撃する。

 しかしそれは人全体のことを表しているのではない。いじめなどしないかあるいは生来できない性格の持ち主が大半であるように思えるのだ。

 いじめは広義にはどのような状態を指すのだろうか。暴力はもちろん、無視、非協力、陥れ、嘘、強要、圧迫その他他人に精神的、肉体的苦痛が故意に与えること全てがいじめである。

 日ごろ体力を使用するスポーツの場などでは暴力がいじめであろう。しかしながらこのいじめに耐えて頑張る選手がいることも事実である。

 そして困るのはそんな暴力が選手を強くすることである。大相撲から暴力が完全になくなれば多分相撲は面白くなくなるだろう。

 日馬富士は酒癖が悪く、酔うと暴力的になり、ビール瓶で貴ノ岩を殴ってしまった。これは行き過ぎであるが、もし手で殴っていればどのように事件は推移したであろう。

 多分うやむやな状態で終結したであろうし、被害者の貴ノ岩もその暴力沙汰を大きな問題にしなかっただろうと思われる。

 それでは評論家や一般に人ではなく、力士側からものを見るとどのような感想を漏らすのかを聞いてみたい。

一つの事件を加害者/被害者以外の側から見ることはされているが、当事者側から見ると案外事件は違った様相を呈するのではなかろうか。

 いじめは根絶されるとは思えない。まして大相撲において暴力的な行為をいちいち問題にしていては相撲そのものも成り立たなくなるように思えてならない。暴力は否定したいが相撲そのものが暴力行為であるのも事実である。

酒巻 修平

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