宝くじに当たると不幸になる

 お金を儲ける能力と使う能力は大体正比例している。この時の能力の定義をする必要があるが、それはいわゆる一般に言われる能力とその人の行動バターンや人柄に見られる能力を含む。

 会社にもよるが大会社で収入が多い人は大会社に入る能力を有し、会社の業務をこなすそれなりの能力があるものだ。その人の収入も多い。その人たちはお金を使うにはそれ相応の使い方をして、無駄遣いも少ないだろう。

 ところが宝くじに当たることは偶然によるもので、その人の能力とは一切関係がなり。たまたま入った大きいお金に惑わされ何年かで全て使い尽くすか、あるいは酷い時には会社の仕事にも熱心でなくなり、挙句の果てには会社を辞めてしまうこともままある。

 宝くじに当たった当初はこれくらい使っても良いだろうという小さい金額から、お金を使うことに抵抗感がなくなり、そのうち無駄使いする額も大きくなる。

 そして10年くらいで元の木阿弥になり、気が付けば仕事もない。金も使い尽くした。そんな状態になっている人を何人も知っている。

 今は各種の詐欺、例えば、おれおれ詐欺などが大流行りだし、株式投資で利益を得た、所謂あぶく銭を得た人も多い。

詐欺漢が住んでいる家をご存じだろうか。彼らは貧しいアパートに住んでいることが多いのだ。収入に応じた家に住めば良さそうに思えるが、世間を憚ってか、金の無駄遣いばかりやるから、金がないのか、妻もいないだろうし、まともな家には住むことができない。

 株式投資で利益を得る人は一見能力がありそうに思うのだが、能力があって、通算して利益を得ている人は少ない。通算して利益を得ている人はお金を儲ける能力も使う能力もある人だ。

 ところでお金には色が付いていると心得ている人は少ないだろう。会社でも全経費のうち、人件費はいくら交通費はいくら、広告費はどうかと経費の明細で金の使い方を管理している。人件費が多すぎるのは売上に対して社員の数が多すぎるか、効率良く働いていないのだろう。

 アメリカでは100億円以上金を持っている人は少なくない。しかしこの億円のうち0億円以上は何か決まったことに使用する額で、例えば投資用資金だったり、事業資金だったりする。それは生活に使用する金ではない。

 全て生活用資金であれば、その人は不幸になるだろう。何故ならそんな額の金は使おうにも使えないからだ。どこかに寄付をするとか、人に上げてしまえばそれで良いのだが、人の精神はそんなことを許さない。

 リッチな人にはリッチな生活があるだろうが、それでも使う額には限度があり、それ以上の額をまともに使うことはできないし、やろうとすれば体か精神のどちらかを損傷するだろう。

 ところで天才はほとんど不幸な生活を送り精神が病んでいる。シャネルの創始者のココはいつも自分の不幸を嘆いて死んでいった。他の人から見るとココはあまりに立派過ぎて、近寄らないのである。

 天分は減衰する。そうなったときにやるのが、慈善事業だ。これはこれで尊敬されるから良いが、本人は自分の天分が去ったのを知り、精神の満足はない。

 ニュートンもそうだった。万有引力を発見した20歳代の初めころは精神の満足は相当なものだっただろうが、その能力が減衰すると科学界のドンになり、余り尊敬もされなくなった。

 中国には良い諺がある。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」はけだし名言だ。人より少しリッチくらいが一番良い。年に2,3回高級な温泉旅館に宿泊して、ゆっくりとして週末を過ごす。そんな生活が理想的である。

 しかしそれもだんだん飽きてくる。人の頭の良い所でもあり、悪い所でもあるのは、慣れるということだ。1ヶ月に一度も旅行に行けば飽きるので、もっと違うことをしたくなる。

 しかしそんなことにも飽きる。飽きないくらいの頻度でリッチに遊ぶ。こんなことをできる人が一番幸せだろうと、羨ましい。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です