人はもともと二重人格である

 人は両親の血を受けて世に出生した。この時どちらの性格が遺伝したか、どのような才能を受け継いだか、どんな病気が潜在しているか、それはまだ分かっていない。

 劣勢の遺伝子がキャリーオーバーして、その代では発現しなくても、次世代で現れてくることもある。即ち遺伝制度がどのようなもので、その機構がどうなっているのか、この辺りの学問は進んでいない。

 性格はどのように決定されるか現れるかも不明である。しかし言えることは父母の遺伝子は確実に子に遺伝して、子の中に存在しているということだ。

 父と母がどの角度から見ても全く同一の性格をしているということはあり得ない。子の中には両親の性格を決定する遺伝子が存在するのであれば、子は両親二人の性格を併せ持つ。

 遺伝子は父母が突然作りだしたものではない。それぞれの両親からの贈り物で、その両親の遺伝子もその前から移転されたものだ。我々は先祖代々の遺伝子を受け継いでいる。

 血縁が遠くなればなるほど、血は薄くなり、遺伝子もそうだ。だから性格が遺伝するといってもそれは高々祖父母程度までと考えて良いだろう。それでも6種類の性格が発現する可能性がある。

 多重人格という病気というか性格異常というか、そんな人がいると聞いたことはあるが、これは多分普通に性格が両親や祖父母から遺伝したのが発現するということではないだろう。おそらく精神異常である。

 そのようにして人には2以上の性格が混在していると考えられる。しかしどのような性格を持っているかに関わらず、その性格が表に出て来なければ単に学問的に考察するだけの話しに帰結するが、性格が表に出て、その性格に基づいた行動を取ると、それは一つの社会問題で、本人も気になるところだ。

 例えばどんな残忍な性格を持っていようが、それが発現し、行動に結び付かないと社会問題も発生しないし、本人も反省したり、更にエスカレートすることはない。

 性格が自分はの周りの社会に影響を及ぼすのは、持っているだけではなく、それが表に表れるという二段階の過程を経るものなのだ。

 ではそのようにその性格が表に出るのだろうか。これも二つの原因がある。脳を含めた人の体は電気信号で2進法的にコンピューターのように制御されている。

 性格が発現するのも内的な要因と外的な要因の二つがある。内的な要因はその日の体調などの自分自身に原因が求められるだろう。もう一つは社会的というか外的なことだ。

 病気だったりするともちろん積極性は陰を潜めるであろうし、まったくの健康であれば積極的になりえる。体の調子や状態は非常に多くの側面があるので、単に健康であるとか、病的であるとかだけでは言い尽くせない。ストレスのあるないもあるし、多種の体の状態がこの性格の発現に関与している。

 一方外的な要因は自分を取り巻く状況が性格の発現に関与するのだ。幼児期に虐待された人は成人すると好ましくない性格を形成してしまう確率が高く、犯罪の遠因は犯人を取り巻く悪い社会状況であるとも言える。

 殺人犯を捕まえ、仮に良い環境下に置いて10年もすればその殺人犯のもう一つの性格がとても優しいということを発見することもあり得るだろう。そんなところに死刑廃止論の根拠の一つがあるのだ。

 夫婦間においては社会活動の多くが夫婦の間のお互いの行動に左右されるし、一人の部下や上司と行動することが多いと、お互いが社会状況の重要な部分を占める。そして相手の動向パターンが影響して自分の行動が規制される。

 これを合わせ鏡とも言うが、結婚している人の社会の大部分は配偶者であろう。良い性格も悪い性格も相手に影響されて出てくる。

 自分が二重性格を持っていると嘆く必要はない。全ての人が多くの性格を持っているのだ。それがどのような表に表れるか、それは自分自身と自分自身を取り巻く社会に関わっている。

酒巻 修平

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