ルールに縛られた社会

 どうも馬鹿馬鹿しいルールが蔓延る。野球の試合で観客は5000人までと決まっていて、それは誰が設定したか分からないがソーシャルディスタンスを守るためと説明されている。

 それは人と人の間を2m開けるというものだが、人がトイレに立ったりする時に移動すると周りの空気も移動することを考慮しない効果のない考えでルールが成り立っている。

 コロナ菌の保有者がいればその人の呼気に交じってコロナ菌が拡散されるが、それは唾などの中にコロニーとして存在しているのは誰でも知っている。

 そんな粒子は軽いものだから空中に浮いていて空気の動きと合わせて移動するだろう。だからソーシャルディスタンスの2mを空けてもあまり意味がない。

 5000人は良くて20000人は駄目なのだろうか。結局保菌者がいると5000人であろうが、感染する人が出るのだ。まして観客が内野席に移動して観戦している状況から考えるとこの5000人ルールは馬鹿らしさを通り越して害を経済にもたらす。

 銀行が設定したルールは複雑怪奇で銀行員も全てを把握できない。反社会勢力の締め出しやマネーロンダリングの防止のためのものだと説明されているが、そんなルールを破るのは簡単だ。

 預金を持っていない人を見つけて口座を作らせるか、会社を設立させて会社の口座を作らせれば良い。ルールで絞め出された人はそのルールを回避する方策を編み出すだろう。

何か問題点が見つかればそのような無意味なルールが作られる。善良な人はそんなルールに縛られて社会生活を営むのに要らぬ手間を掛けさせられて困るのだ。

 どうして同銀行に複数の口座を作ってはいけないのか。これは車の走行は左側車線を使用しなければならないのとはわけが違う。

 会社が複数の口座を一つの銀行に持ってはならないのなら困ることが発生するのを銀行は知っているがルールがあってそれを許さない。

 急ぐ人のためにエスカレーターの右を空けておくというのも馬鹿馬鹿しいルールだ。エスカレーターは補修の回数を増やさなければならないし、大勢の人が利用しようとしても結局半分が利用されていない事態が発生しているのを度々見かける。

 デパートでのんびり買い物をするのにどうして右を空けているのか。急ぐ人はデパートに来なければ良いと思うのだが。

 これは日本人の欠点の一つであろう。社会常識に則って行動すれば済む事でもルールを作る。そして自分たちが作ったルールで自縄自縛に陥る。

 税に関するルールは税務署が作ったのか、あるいはあの悪名高い財務省の仕業であろうか。納税者の側に立ったルールはなく、徴税者側が自己都合でルールを作る。

それは厳密を極めるが、ここに落とし穴がある。ルールが厳密であればあるほど、抜け道ができるものだ。

だから節税などいくらでもできる。まずは外国を経由する会計をやれば良いし、第一そのルールを監視する税務職員の数は全然足りない。

もうやめて欲しい。息が詰まりそうだ。確かにコンピューターを正しく作動させるには極めて厳密なルールを守らなければならない。これは許せる。

 だが人間はコンピューターではないのだ。ある程度大雑把な決まり事があればそれを守れば社会は正常に動く。

 人を殺してはならないのは誰でも分かるだろう。いじめもいけない。そんなことは子供でも分かる。コンピューターが分からないだけだ。

 ルールが厳密になればなるほど人は思考ということをしなくなる。そうすると過去に経験のないことに対応できない。

 今回のコロナ騒動に対応できない行政を見れば分る。右往左往して適切な作業をしていないではないか。

 役所では普通の人では30分くらいでできる仕事を能力の低い人に合わせて3日くらい掛けてすることが多い。だから役所の仕事は時間が掛かるのだ。これも一種のルールである。

 こんな馬鹿らしいことを止めてある程度社会に任せれば良い。社会は自然に人の精神や能力に応じてルールを作っていくだろう。そんなルールは自然と守られる。

 人が自分の肉体と精神で打ち立てたルールを守るのは誰でもできる。交通の激しいところでは必ず歩道を付ける。こんなルールは当たり前ではないか。

 だが逆にそんな当たり前のルールは守られない。日本の行政は自己都合のルールだけを作り社会のことを考えない。

 こんなことをやっていればやがて日本は没落する。それを許してはならない。行政の悪ルールには断固反対したい。

酒巻 修平

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