印刷技術がないころ
グーテンベルクが活版印刷技術を発明したのは1400年代の中頃であるが、それが一般に普及するまでには時間が掛かっただろう。
だから本を出版するのはずっと手書きでコピーしていたと思われる。もちろん日本ではそんな機械の輸入は明治になってからと思われるので、江戸以前、本はとても貴重なものであった。
勝海舟という天才は貧乏な家に生まれたが、読みたい本が何冊もあった。しかし金がないので本など買えるゆとりなど全くない。そのころはある程度の金があっても買うのではなく、借りていた。
我々も子供のころ本は買うものではなく、借りるものという意識しかなく、漫画本や探偵小説を借りて読んだ。時代劇には貸本業を営む人物が描かれていることもあるくらいだ。
勝海舟はある一冊の本をどうしても読みたかった。しかしもちろん買うことができないので、借りた。しかし借り賃もない。このころは借り賃のことを損料と言ったらしいが、それを何とか捻出しなければいけない。
そこで考えたのが、その本を描き写すことだった。かなり分厚い本だったらしく、描き写すのに1年掛かった。そのころは筆で文字を書いていたから、書くのは今の人より相当早かったと思われるが、それでも一年。
それでやっと損料を支払う目途が立った。だが自分の手許にはその本はない。どんな天才でも全てを暗記できる訳はないし、蔵書として手元に置いておきたかったので、どうしてもその本を自分のものにしたい。
そこでもう一冊その本を書く写すことを考えた。また1年掛かる。今の人では考えられない根気があったらしい。
そのころは勝だけではなく、他の人もそんなことをやっていたと思われる。江戸時代200石くらいもらっていなければ本を買う余裕などない。
ほとんどの武士は内職をしたりして、家計を支えていた。江戸の武士は貧乏だったのだ。もちろん女性も新しい着物を買うこともままならないから、相当大切に着ていたと思われる。
勝海舟はそんな時間を掛けてその本を手にしたが、その間仕事もあるだろうし、全ての時間を書写に費やす訳にはいかなかっただろう。
しかし本を2冊も描き写した。当時は用事で出かける時も歩いて行く。伝言を頼むにも金は掛かったし、時間も掛かった。今のように携帯電話はない。
因みに我が家に電話を引いたのは私が就職をして何年か経ってからだった。それまでは隣の電話を借りるか、公衆電話まで行って通話をしていたものだ。
昔はなにしろ時間が掛かった。それでも江戸時代の人は今の人より多くのことをやっていた。江戸の文学は今より優秀だし、絵画、彫刻、演劇、全ての芸術に関して今のものよりレベルが上だ。
ここで考えさせられるのは、全てに時間が掛かるのにどうして江戸時代の人の方が多くのことを成し遂げたのかということだ。社会全体を見るとこの言い分には異論があるだろうが、個人レベルで観察すると江戸の人の方が現代人より多くのことを成し遂げている。
考えられるのは今の人は仕事や芸術活動などに使う時間が少ないのだと思われる。残業しては疲れるからノー残業デーとか馬鹿らしい制度を策定して、また無駄な時間を政府が作って国力を弱めている。
我々ある程度の年齢の人間は終電車まで仕事をするというのはざらだった。もちろん今でもそんな人はいるだろうが、兎に角今の人は甘やかされている。
今度は5月に10日も連休がある。病院、銀行、会社、役所、全て祭日となって、仕事は休むらしい。馬鹿らしくてこの国を恨みそうで、迷惑千万である。
もう少し、現代人は考えた方が良い。休んで旅行に行く人はまだ良い。だけど10日も休んで旅行に行く金があるのだろうか。
テレビの番組はほとんどのものが馬鹿らしい。良い番組もあるが、予算がないので、制作者は困るから色々と知恵を使ってできるだけ視聴率を稼げる番組を作ろうとするが、そんなに甘くはない。
結局現代人は時間を無駄にしている。時間も金も使うには能力がいるのだ。無駄な時間を過ごすくらいなら働いた方がましだと思うのは僻みだろうか。
酒巻 修平