社会迎合型社会

 社会はどのように成り立つのか、なかなか難しい問題だが、社会の構成員全体の考え、行動、経済とそれに今は日本を取り巻く世界的な情勢などの総和であるには違いないだろう。

 一人一人は気が付かないがその一人一人も小さいが社会を作っている要素になっている。

 一人一人の人としての質が高ければその総和は質が高く、幸せな社会が現出しているのも事実だ。平均的に誠実で勤勉で、能力の高い国民が国の構成員であればその国は繁栄して経済は潤う。

 当たり前のことだが、案外気が付かない。だから私は日本人として生まれてきたことを神に感謝している。アメリカには生まれたくなかった。

 北欧の社会はもっと幸せだと聞いているが、住んだことがないので、分からない。でも経済規模は日本やアメリカより小さいし、国としては小ぶりだ。

 だから国民の幸せ度は大きな経済と国力を持っていることとは直接関係がない。北欧では人は誠実で互いに助け合い、親切な人が多いのだろう。

 欧米と日本の行動パターンの違いは大きい。欧米人は自分の考えが社会の要請とたとえ違っても自分の考えで物事を処理しようとするが、アジア人は社会の考えに従って考え行動する。

 日本人は悪く言えば社会に迎合する。良く言えば和を以て尊しとの考えが社会にはある。裕福で幸せな人を羨むし、たとえ自分のしたいことがあっても社会が反対することは例えそれが正当でもやらなくすることがある。

 もちろん全ての日本人がそうではない。かつて池田隼人首相が「貧乏人は麦を食え」と言ってごうごうたる批判を浴びせられたことがあった。

 それを聞いた妻の父(少し貧乏であった)が「当たり前のことなのに、どうして批判を浴びるのだろうか」と不思議がったことがある。

 私もそう思う。金がなければないで、できるだけ質素な生活をしなければならないのは当たり前で、疑問はない。

 しかし貧乏人も麦を食べたくない。その人たちは社会の一般の人の生活とは違うから社会的ではないと見られ、その人は自分を卑下する。

 今は大学に子供をやらないと親は白い目で見られるし、子供を大切にしなければ親の責任である。大切とはどういうことか、その親にすれば子供を大切にしているつもりでも、世間のやり方の大切でないと非難されそうだ。

 電車の社内で老人に席を譲らないのが社会の風潮になり、これは最近許されるようになっている。昔はそんなことをすると若い人は不誠実と思われたものだ。

 友達が困窮すればできるだけ助けるということも多かった。そんなこともなくなった。だが世の中は便利になった。全ての人が携帯電話を持ち、持っていないと非国民扱いされそうだ。

 18歳以上の人は全て選挙権を持ち、選挙には行くように促される。しかし選挙に行きたくない人に選挙に行ってもらっては困ることもあるのではないか。

 選挙に関心がないという人は被選挙人のことを知らない。その人が選挙に無理やり行けば、どのような基準で選挙をするのか。当選してはならない人が当選する。これでは意味がない。

 人にはそれぞれ考えがある。それが社会の風潮と違っても良いではないか。それが悪いことでなければ、そんな考えが案外社会を良くするのではないか。そんな気がする。

 日本が如何に良い国かと外国人が語るテレビ番組がある。あれを聞くと気恥ずかしくなるし、外国人は言わされているように思える。

 昔の日本はもっと良かったと思う。そういうと老人扱いされそうだが、本当にそうだった。それがアメリカ発信の拝金主義が社会の風潮になり、今は金を目的として行動する。

 今の日本では社会に迎合する人が多すぎて、やりきれない。道徳は廃れる一方だし、そんな社会に迎合しないで道徳を良くする人が大勢いて欲しい。

酒巻 修平

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