ルール厳格社会

 ルールとはある決まった手順でものごとを処理しなければならない規則のようなものだと心得ている。

 話している言葉もそうだが、法律や銀行との取引、電車の乗り方、全てルールに則って処理しないと結果が出ないし、他の人から非難され、あるいは罪に服さなければならない。

 ほぼ大抵のルールは合理的でなるほどと思えることが多いので、あまり狼狽えることはないが、中にはどうしてこんなルールが存在するのか疑問を持つこともまた多い。

 使う言語は昔と変わった。消滅した単語が多い。折角使いやすい単語であったのに、今では使うと若い人に理解されないことが発生する。

 それに代わって、「領収書のお返しです」など何故、どこからそんなルールの言葉が出て来るのか、疑問もなく使う人がいるが、どうしても引っかかってします。

 「返す」という言葉は何かを預かってそれを元に持ち主に返還する時か、預かった金が多すぎて残りをおつりとして返す時に使う言葉の筈なのにと気持ちの上で反発がある。

 エスカレーターに乗ると右側が空けてある。ラッシュ時に遅刻をしまいと急ぐ人がそこを歩いて上がるからか、そんな時には理解できるが、デパートでもそんな現象が起きている。デパートで何故こんなルールが存在するのだろうか。

 右ががら空きなので、そこに立つと後ろから来た人に非難されたこともあった。エスカレーターの上を歩くと危険だし、エスカレーターの調整回数も増えると思うのだが、そんなことを頓着しない人が右側を歩いて登る。

 高々何十秒の違いだと思うのだが、それでも気持ちが急くのか、運動代わりにそんなことをするのか、こちらには不便この上ない。

 銀行でお金を引き出す時にはキャッシュカードを使い、概ね同じ手順だが少しは違う順番でATMという名前の機械を操作しないとお金は出て来ない。

 ルールはしかし便利であるし、人手も掛からない。だからある程度のルールは歓迎なのだが、それが行き過ぎるとどうなるのだろうか。

 国会は法律というルールを作る機関である。だから毎年法律が作られる。だけど法律を作ると守ることを監視する役目をする人が必要になる。

 そのうち国内は法律で一杯になってしまわないのか。全ての法律を覚えて使うのは大変だから、たまには弁護士さんに相談しないととんでもない間違いをしてしまいそうだ。

 交通ルールがその中でも一番守り難いルールだ。広い道の歩道の横に車を停めて買い物をすると駐車違反という名前のルール違反で罰則金を払わされる。

 そんなことを一回でもやれば覚えるから二度とはやらないけれど、このルールは何故あるのか、理解の外である。守れないようなルールを作って良いのか、あるいはそのルールがあること自体がルール違反ではないのか。

 国の政治や経済あるいは社会が複雑になればなるほど、ルールが増える。我々はそんな複雑怪奇な世界に住んでいると、窮屈でこの身が滅びそうだ。

 本当にそれで良いのだろうか。ルールは覚えなければ従えない。我々の貧弱な頭脳にはそんなに多くのルールを覚える余裕があるのか、全く疑問である。

 ルールはしかし一度覚えると便利であるとも言える。そのルール通りに事を処理していけば考える必要がないからだ。

 コンピューターはルールの塊で使用される。ルールを覚えていないと使用不能である。するとどうしてもルールを覚えることにエネルギーを使う。反面ものを思考するという脳のもう一つの作業が下手になる。

 コンピューターは世の中でとても普及して今や社会生活になくてはならないツールだ。だが普及すればするほど、人の思考という大切な機能が発達不全に陥る。

 ルールを守るのは疲れる。何とかルールを少なくする努力を誰かしてくれないかなと常々念願しているが、そんなことを考えてくれる人はいない。

 人の頭脳は非常に有用な器官だ。それをもう少し効率良く活用するには物を記憶すると同時に考えるという作業もしなければならない。しかしその前にまたルールを覚えなければならない。

 我が家のトイレのドアは引くと開く。押しても開かない。これもルールだが頭は自然にそんなことを覚えている。嫌だ嫌だ。ルールを減らすことを誰かやって欲しい。

酒巻 修平

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