日経平均は30000円になる?

 何年か前の新聞を読んで、何かの予想をしている記事を読むのは面白い。2,3ヶ月先の予想は比較的簡単なようだが、1<年2年と後になればなるほど、予想は当たらなくなる。

 3年前に掲載されたYoutube を見ていたら、日経平均はすぐに30000<円になるという記事があった。更に30000円はほんのステッピングストーンで、そこを脚掛りにして40000円になると予想した経済学者もいた。

 30000円になると予想した学者はとても自信満々に物事を話すおばさんで、同志社大学の教授と称していた。40000<円も夢想ではないと言っていた学者は高名で、予想は良く当たる、ほとんど外れないと評判の人である。

 現在の日経平均はいくらであろうか。22000円あたりをうろうろしている状態で、米中の貿易戦争はあるとは言え、その前から30000<円に上昇する気配など全くなかった。

 お二人の学者の予想は完全に外れた状態だ。学問には将来の予想という作業が含まれていないのか。もしそうならどうして偉そうに将来の予想などするのであろうか。

 何十年か前、人工増加で地球の食料が全く足りなくなる、あるいは今後40年で石油が枯渇するなど、一体何を根拠にそんなことを学者は述べたのか、真意が分からないと思ってしまう。

 他の目的があってそんな出鱈目を予想をしたのではなく、真剣だったとは思うものの、全く当たらないことが多い。

 巨大な資本を背景に世界の株式相場を動かしている人の相場予想は当たるのかどうか、検証したことはないが、目先の投資行為と予想は全く違うものだと思う。

 経済学者で会社も経営している人がいる。その人の会社経営法や仕事に対する態度や考え方を読んでみるととても変なことを書いてあることがある。銀行は担保がなければ融資をしないとか、よくそんなことを言えるものだと呆れる。

 学者の予想はフィクションとして聞いているとまあ面白い。私の同窓生でも大学の教授になった人が何人かいるが、勉強ができるだけで、大体頭が悪い。

 そう言えば米永邦夫という将棋指しは上の二人の兄は頭が悪いから東京大学に入り、自分は頭が良いから将棋指しになったと言っていた。冗談が混じっているだろうが、それは事実だろうと考えている

だから学者や大学教授というタイトルを持っている人の話しは単なる話しとしてしか聞かない。

 本も同じだ。現在本を書く理由は自分が考え抜いたことを文字に表すなどという高尚なことが目的ではない。出版社がビジネスとしてやっているに過ぎない。だから内容はあまり問われなく、有名な人が書いたものとか、事実と違っても人の目を見張らせる書く曲芸を見せることを出版社は考えている。金が儲かれば良いのだ。

 これは読者の責任もある。読者の読解力の低下で作者の能力も低下した。現実にビジネスをやっている人はビジネス本など読まない。馬鹿らしいからだ。

 真実とは真実と証明されたことで、真実でないこととはそのように証明されたものである。これはアインシュタインの言葉であるが、蓋し至言だ。

 将来の予想はそのようなことに基づいてなされていない。予想する将来と現在の間にどのような事が起こるか分からないではないか。

 大地震、戦争、疫病の発生、などは株価を下げる要素であるし、近海の天然資源の効率的な採掘方法の開発、癌の特効薬の発明がされると株価は大幅に上昇するが、そんなことは学者には予想することは不可能である。

 もう一つ大切なことは学者のデータの中に人の精神のありようが含まれていないことだ。ある株を買う人が多ければその株は上がる。どうしてその株を買う気持ちになったのか理由を聞いても仕方がない。人の精神が動くには確固たる理由などない。

 米中貿易戦争が激化するので、来年の日経平均は15000円を割り込むだろうと予想しても、その予想が当たるかどうかはどうして分かるのだろうか。私が高名な学者なら多少追随する人もいるだろうが、そんなような人の資金など微々たるものだから、意味がない。

 学者の言っていることはフィクションである。しかし面白い。事実をある程度踏まえながらの予想はミステリーより面白いかも知れない。

 学者などその程度の人物たちである。学者の言う通りになど現実の社会は動かないのだ。

酒巻 修平

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