すみません

 「すみません」とはその人や所属している組織が何か相手方に謝らない事項が発生した時に発する言葉である。不便や損害思わぬ勘違いなど、日常この言葉を最近よく聞く。

 言う方は一日何回そんな意味の言葉を発しているのだろうか。おそらく1回ではないだろう。しかしその言葉には感情が入っていなくて、そんな言葉を発しておけば事足れりというイントネーションがうかがえる。

 昔を偲ぶ訳ではないが、そんな言葉はこの30年ほど多くなったように思う。一番聞くのが電車の中だ。電車が何かの都合で遅延したという時にこの言葉を聞く。

 聞く方も慣れっこになっているようで、気にも止めない。電車が遅れるなんてことはあたりまえだからだ。我々子供のころは電車が5分遅れたら、新聞に出ることもあった。

 この言葉は発する方の側に何等かの責任がある。自然災害で遅れることもあるだろうが、これも前以て何等かの処置がしておけばあるいは遅延を防げるかもしれない。

 電話を掛けてもこの言葉をよく聞く。こちらが提出しなければならない書類の書き方が分からない時や、誤解しそうな時は書類を求めている方に仕方なく電話をする。

 国からの書類は案外分かり易い。地方公共団体のは駄目だ。ほとんどのケース、電話をする羽目になる。電話をすると30分くらいは掛かる。するとこちらと相手の時間を合わせると1時間。無駄な時間を費やしてしまう。ここでもそのことを詰ると「すみません」だ。

 公共団体の場合、相手の時間は給料で支払われている。そうするとその分税金が無駄に使われた訳だ。書類の作成にもう少し注意をすれば済むので、誰が書類のひな型を作ったのか聞いてみると、作る係がいると言う。

 私企業ではそんな係員はすぐに職務から外されるか、もう少し体裁をきっちり整えてから、書類として完成させるだろう。

 「すみません」という言葉が多くなったということは社会のレベルが落ちたこととほぼ同意義だと考えられる。戦前の南満州鉄道では10秒単位で列車が運行されていて遅延はほぼなかったと昔の人に自慢されたものだ。

 そんな日本はもうない。日本礼賛番組があり、見たことがある。そこでは如何に日本が他国と比較して良い国かということを外人が話し合っている。聞くと恥ずかしくなるほど、彼らは日本を褒めたたえる。

 もちろんやらせだとは思うがよくこんな番組を企画したものだと唖然とする。古い日本を知っているものにすれば出演者の話しは噴飯ものだ。年齢を重ねた者に取っては日本は昔よりレベルが落ちて、全く良い国だとは思えない。

 私はとうに後期高齢者になった。しかし電車内で席を譲られたのは3回。譲ってくれたのは全て外国人である。私も疲れないから譲られるのは嫌であるが、風貌はもう譲られる年齢に達している。

 社内には優先席というものがあって、席にどうしても座りたい人用にそれが設けられている。そこに老人が近寄っても誰も席を譲ろうとはしない。すぐに本やスマホに目を落とし、老人がいることなど忘れようとする。

 妻はデパートやスーパーのポイントを溜めるのを楽しみにしている。だが言っていることが論理と違うので時間つぶしに各所に電話してポイント制度を尋ねてみた。

 ほとんどの人が応えられない。ここでは「すみません」の連続である。唯一完璧に対応してくれたのは「京王デパート」の案内嬢だった。

 この人たちは質問するのは答えるより難しいということを知らないのか、何かを言い忘れる。あるいは関係があっても他の部門が関わることは知らない。そうするとこちらも質問をするのがとても難しくなるか、他部門へもう一度電話をしなくてはならなくなる。

 京王デパートではその案内嬢がたまたま優秀だったのか、マニュアルが良くできていたのか、短い一回の電話で用が足りた。一事が万事だと思えば、デパートでの買い物は京王百貨店だと思ってしまった。

 電気やガスなどを新規に扱い出した電鉄会社がある。特典があるから是非そんなライフラインは当社から買って欲しいというので調べてみた。結果3社をたらい回しにされ、結果何も分からなかった。

 案内嬢という職業に付いている人は勉強しないのであろうか。ただマニュアルを読みその通りのことだけを客に伝えてそれでOKとしている。それはそうだ。残業はあまりやってはいけない。女性は男性と同権である。最低賃金を引き上げろ。

 全て権利の行使だけに関心があるらしい。権利の裏に義務というものがあるのを忘れたのか。ストレスがたまり過ぎると自殺してしまう人がいる。そんな人の遺族は会社に補償を求める。ここでも権利の主張である。

 ある女性がストレスで自殺した。気の毒ではあるが、何か釈然としない。聞くとその女性は遅刻の常習犯で仕事が全くできない。超優秀な大学を卒業しているので、その会社も採用したらしいのだが、同僚や上司は苦言を呈する。当たり前のことだ。だが当たり前に非難すると、今度はその行為を非難される。

 この国はどこかおかしい。もう「すみません」という言葉を聞きたくない。適当な仕事を真っ当にやってくれれば「すみません」を言う必要はないはずだ。仕事についている人はもっと勉強をしてもらいたい。

酒巻 修平

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