耳の役目

 人の感覚器官は脳を含めて、ほぼ首から上の顔に位置している。目、耳、鼻、舌である。これらの役目は大体解明されているが、その本来的な目的以外に案外役割があるものだ。

 舌は美味しい、辛い、塩っぽい、苦い、甘いなど食物を体に摂取するときに体に良いかどうかを判定する役目がある。最近塩分の取り過ぎが問題視されているが、塩分の不足に付いて学者は言わない。

 塩分には体内に水分を保管する役目がある。取り過ぎると水分過多で、むくみの原因になるし、膝に水がたまり、緑内障の遠因にもなる。しかし不足は熱中症を引き起こし、体がだるくなる原因になる。

 体に良い食べ物を摂取するにはどうすれば良いのか。色々なことが言われているが、簡単である。美味しいと脳が感じるものが体には良いのだ。味が薄すぎれば塩分不足だし、塩っぽ過ぎると種々の病気の元にもなる。

 しかし食物は口を通じて摂取されるものだから、人が食べる意思を持つ行動をしないと舌が作用を果たす機会がない。

 目、耳、鼻は舌と違って人が意思を持たなくても作動するという意味では舌より重要な感覚器官かもしれない。目は人の行動に指針を与え、必要な情報をもたらすと意味では最重要であると言えるかもしれない。

 しかし目の不自由な人が行動できないかと言うとそうとも言えない。杖を突いたり手で触ったり、完全な情報を得られないとしても代替物がある。

 鼻はやはり摂取してはならない食物を教えるのに役に立つ。今は賞味期限という馬鹿らしい制度を政府が作ったが、昔は匂いを嗅いでその食物が食べられるかどうかを判定してものだ。

 因みに賞味期限を表示する制度が普及してから食品添加物が多くなり、体に害を及ぼす。それが酸化防止剤だ。コンビニ弁当ばかり食べて死んだ人は腐らないという。それでドライアイスのメーカーの商売が悪くなった。

 鼻には植物の腐敗を感知する以外に役目があるだろう。有毒物質や焼ける匂いを嗅ぎ、動物は危険を察知する。また草食動物は肉食動物の匂いを嗅ぎ、危険から遠ざかる用意をする。だから鼻の作用は全方向性である。

 耳も鼻と同様全方向性がある。だから耳も鼻と同じく危険回避に必要なのだろう。

 動物はテレパシーや超音波で自分の意思や情報を同種類の仲間に知らせる。だがそれでは複雑な内容を伝えることができない。だから多分危険回避と食物に関する情報の交換くらいの役目しか果たさないと推測できる。

 人の脳は他の動物とは違い極端に発達した。これにより人は文化を創造し、精緻な感情の発露ができるようになった。それらを他の仲間に伝達するにはテレパシーや超音波では間に合わない。

 それが声帯と耳の関係である。何か詳しい情報を伝えたいと脳が意図した時、声帯と共同作業を行い、情報の共有化が図れる。また一度にその情報を複数の仲間に伝えるという目的のために全方向性でもある。

 生物は自己複製する系である。その目的を達成するためには自己の生命を守らなければならない。感覚器官は生を保持する目的のために発生した動物固有の期間である。

 植物にはそんな器官はない。だから個体の生命がある程度消滅することを前提に確率的に計算して、植物の個体数は動物より多い。そんな手段で遺伝子を子孫に伝えているのだ。

 人は食物連鎖の最頂点にいる。意図すれば全ての動植物を絶滅させることさえできるし、実際にある動物などは人によって絶滅した。

 だから危険を回避する器官の感度は鈍くなった。だがその代わりの作用が生れた。人は子孫を残す生殖作用の相手の異性を見つける努力を最大限行う。人以外の動物には相手を選り好みする行動があるかどうか定かではないが、人にはこれがある。

 人が繁殖する大きな理由の一つに発情期がないことだ。言を変えるといつでも繁殖が可能なのだ。雄は精液がある限り発情する。若い雄では1時間か2時間で精液が満たんになる。

 ところで耳の機能だが、私に面白い体験がある。ある家で小鳥を飼っていた。いつもは室内で放し飼いにしてあり、客があったりすると、鳥かごに逃げ込む。

 私はこの鳥を手なづけようとして、鳥かごに逃げ込んだ小鳥に低く、小さく、優しい声で話し掛けた。「お前は綺麗だね。良い声だね」などと何でもいい。数分話しかけた。

 次にその家に行った時その鳥は私には近づかなかったが、鳥かごの中に逃げ込まなかった。そこらを歩き回り、飛び回り私を危険な人物とは判定しなかった。

 次の時だ。私がこんにちわと言ってダイニングテーブルに座ると何とその小鳥が私の肩に止まったのだ。可愛かった。

 耳は危険を察知すると同時に心を許す対象を見分ける能力がある。異性が相手に好意を持てば、優しい声で美しい言葉を囁き掛ければ良いのだ。

 女性のそのような声は英語では「sweet and low」と言う。どうも低い声の方が異性に好まれるようだ。

 しかし耳は全方向性であるから、大雑把で最後の仕上げができない。その時には目を使う。「目は口ほどに物を言い」というではないか。

 まだまだ感覚器官の使用法がある筈だ。もう少し考えてみる価値はあると思うのだが。

酒巻 修平

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