日本の困りもの

過剰な交通違反取締り

  警察は我々の社会生活の安寧に尽くすために存在するものである。確かに警察が存在するだけでそれはある程度達成できていると考えられるが、そうでない事案もまた多い。

  先ず道路交通法が刑法であることには疑問を感じる。これは警察が交通違反に関与するための処置であるように思えて仕方がない。世界各国どこでも警察が道路行政を施行しているので、そういう要請が警察の活動には必要なのかも知れない。

  交通違反取締で一番一般国民の迷惑を掛けているのが駐車違反である。今の制度になる前は婦人警官が駐車違反をしている気配のある車のタイヤにマークを付けて行き、何分か後にもう一度現場に戻ってその車が移動されていないと駐車違反として処理された。

  これは荷物の積み下ろしの時間を考慮しての処置で、これはある程度正しい。だが駐車に対するインフラを整備しないで、行政側が一方的にこのように交通違反として処断するのは民主主義に反する。

  更にそれが厳格化し、コンビニに5分停車しても駐車違反として処理されるし、郵便や荷物の配達をする車もこの処理をされる。

  交通監視員と称する被失業対策員の緑のおっさんは公務でない限り郵便配達車に対してもこの処理は当然だと言い張るが、郵便や荷物の配達は生活を行う上で必要不可欠なことだ。これは明らかに行き過ぎた行為である。

  こんな馬鹿なシステムが存在する理由は簡単だ。高級警察官僚が天下り先を確保したかったからだ。このシステムが導入された当初は警察官も反対していた。

  なお交通違反として処理するのは主として違反に対して支払う反則金を収奪する行政側の目的に由来する。交通の安全を守るというのが、道路交通法の意義なのにそれは二の次なのだ。

信号系統未整備

  一部を除いたほぼ全ての道路の信号が秩序なく作動されている。私はこのことで約15年も前に警視庁に電話をした。その時には「抜本的に考えなければなりませんね」ということだったが、それから何の改良もされていない。この所為で日本の生産性が何十兆も下振れしているのを警察および関係機関は何の痛痒も感じないようだ。

  

  石原氏が都知事に選出されたとき、ディーゼル車に対する規制を行い、烏の駆除も遂行したので、期待をしていたが、氏も車を運転しないためか、このことには手を付けなかった。

冤罪の発生

  刑法事件の犯人は逮捕されなければならない。だが犯人が逮捕されないより、不当あるいは過ちで冤罪として処罰するのはあってはならないことである。

  しかし報道されているように冤罪は常に発生していて、被害者は後を絶たない。人は間違いを犯す。それを前提に冤罪が起こらない努力を最大限するべきなのに、それを政府は怠っている。

  冤罪被害者はあってはならない苦悩をするが、故意による冤罪は人としてあるまじきことである。故意による冤罪で死刑に処せられた人も何人か報道されているが、警察、検察がそれを知って放置すればそれらの人物は未必の故意として殺人罪に当たる。

  足利事件関連で真犯人ではないのに死刑に処せられた人がいるようだ。一度死刑にされた人は帰ってこない。この責任はどのように警察、検察は取るのか。さすがに裁判官にはそんな人はいないと信じるが、故意または不作為で冤罪で死刑に処したなら関係者は殺人罪の適用も考えても良いのではないか。

  日本は民主国家で三権が分立している筈だが、裁判所は政府の判断と違う判決を出すことが極めて少ない。そんな状態の中から冤罪が発生する。警察や検察は人の生殺与奪の権限を持つ。だからその負うべき義務も大きいのだが、かれらはそれを逃れる。

  彼らがそんなことをすればより強く罰せられる法律を制定しなければならないのではないだろうか。捜査記録など、裁判が終われば閲覧できる制度を作るとか冤罪を防ぐ手段を真剣に考えなければならない。

  

  警察が存在しなければ犯罪は増加するだろうが、存在すれば反対に善良な国民の生活に多大な迷惑を掛ける。警察行政を司る人は人格が低いか頭の悪い人だろう。

詐欺事件不捜査

  社会で一番多く発生する犯罪はもしかしたら詐欺事件かもしれない。だが警察はこの犯罪をほとんど捜査しない。難しいと言うのが理由だが、それにしても詐欺被害者は相当多いと推察できる。証拠がほとんど固まっているのに捜査をしないことが多い。捜査をする体制になっていないからだ。

  一度我が家でも「俺々詐欺」に遭遇した。その時は私が詐欺を察知して未遂に終わったのだが、その後愛宕警察に通報しても反応が薄い。それで出て来た警官に「捜査するのか」と聞くと、言葉を濁し結局やはり捜査はされなかった。

  警察が関与する社会の困りごとが多すぎる。警察は大きな権限を有する。その逆に義務も大きいはずだ。もう少し世の中のためになるように働かないのかと不思議だ。人のために尽くそうという意気込みで警官になる若者は正義感に溢れ、好感が持てれるが、30歳を越える辺りからおかしくなる。

  この原因を作るのは上司、上層部である。日本は所謂一般の人が上質なのに対して上層部の能力、人柄が低すぎる。これはアメリカと対照的だ。日本ではその人たちに創造性がなく、人柄が優れない人が多いからだろう。

二重課税

  日本には二重課税が多い。ガソリンを買うとガソリン税を課された上になお消費税を取られる。正式にはガソリン税を差し引いた金額に消費税を課税すべきだ。例えばドイツではガソリン税を差し引いた上で消費税が計算される。

  相続税は日ロ戦争の戦費を調達するために創設された税金である。日本が戦争に巻き込まれれば日本国民は何等かの形で協力すべきなのは言を俟たないがもうこの戦費は全て償却された。

  相続税は二重課税により発生する。税金を支払った後に残った財産に関してさらに税金を賦課するものであるので、特例でなければならないが、そうではない。因みにスイスやその他の国では相続税は存在しない。

天下り

  これも単なる筆記試験で良い点を取った人物が官僚になって、能力も少ないのに高い地位を占め、そして定年後に関係組織の上層部に移籍する忌むべき制度である。

  長年培われてきたこの制度を破るのには長年掛る。それにそんなことをする実力政治家がいない。だから天下りという制度はなくならないだろう。損をするのは国民で大した能力もない官僚を税金で養っているに過ぎない。

大学入試制度

  頭が良いと判定される基準は何であろうか。種々意見はあるが、それは第一に創造性だ。天才は全て創造性を持っている。次が思考力に関することだ。大学入試では思考力を試される問題が少ないか問題が多すぎて思考力で回答しようとしても時間が足りない。そこで考え付く問題の解き方をできるだけ暗記、記憶しようと受験者は試みる。

  記憶力が良いことも頭の良いことと解釈されるが、創造性や思考力と比較すると格段に低い。有名大学出身者が良く仕事ができるということを聞くことは稀だ。彼らは大組織の就職し、そこですでに設定されたシステムを記憶することで仕事をする。だから現在のような激変期には対応力はない。対応するには創造性と思考力が必要とされるからだ。入試制度は改めなければならない。

普通選挙法

  選挙民は被選挙人の能力や人柄が分からない。あるいは分かる努力をしない。従って違う観点で判断して投票する。それに一人一票ではどんな被選挙人を知っていても投票の対するモチベーションは高くならない。

  普通選挙法より優れた選挙法があるとは思えないので、それが悩ましいのだが、それでももう少し研究して立派な政治家を選出するシステムを考えなければならないと思う。

  駄目な政治家は国家に損害をもたらすのだ。そんな駄目な政治家を選ばないように選挙人自身も選挙に行くには勉強、研究しなければならない。それは自身のためだからだ。

続く

酒巻 修平

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