日本の困りもの ― 2

テレビソフトの欠乏

  夕飯は酒を少し飲みながらテレビを見て摂る。6時過ぎから始めて、食休めを含めて2時間ほどで終了。その間どうしてもテレビが欠かせない。

  酒を飲んでいるから頭の回りは遅いので、内容が単純なのが良い。時代劇などが好みだが、この出来が悪い。3千石も取っている役人の家の庭が狭すぎたりするし、灯篭の位置、敷石の敷き方が稚拙すぎる。

  でもそんなことは枝葉末節。我慢して見るが内容もほぼ毎回同じである。テレビ局もコマーシャルが少ないからか予算が取れず、原作者の書いたものを使えないのか、酒が回った頭にもあまりに単純すぎる。

  原作者の作品に基づいて制作されたものはまだ良い。それでも全く同じ内容のものを5回も放映する。だから私もテレビを消すことが多い。回りに話しをする人がいれば良いのだが、それもない。

  私でもテレビを消すくらいだから今テレビを見ている人は少ないと思われる。そうなるとますますテレビ離れが進む。どちらが先か後か知らないが、結局ソフトを制作する予算がだんだん少なくなり、ますますテレビ離れが加速する。これではテレビはそのうち消滅するのではないかと思ってしまう。

  有料テレビも同じだ。これでは金を払う意思が生れない。アメリカでは年齢別に専門のチャンネルがあり、これはこれで面白い。50’sと言って1950年代に流行った歌番組を流したり、再編成したりしてその年代を生きてきた人の好みに合うが多い。

  民放では家にいる主婦向けのバラエティーか再放送しかない。NHKは視聴率を気にする度合いが少ないからか、たまに良い番組が存在するので、まあ酒を飲まずに見るのはNHKかスポーツ番組だ。

  テレビは有用だと思う。でも民放がこのままだとやがて経営は成り立たなくなるだろう。経営者は仕事をしていないのか、給料泥棒のようだ。嘆かわしい。

医者の誤診あるいは造病

  誰でも病気になる。若い時は病気をしなかった人も年齢を重ねると病気になるのは仕方がない。病気をせずに老衰で亡くなる人もいるが、これは限られた幸せな人だ。

  私は子供のころからの喘息で青年時代は大変苦しんだ。今は良い薬ができて症状は出ないので助かっている。10年くらい前から今度は不整脈が始まったがそれも何とか調整が効いている。

  平均年齢が高くなった原因には医療の進歩が上げられると言われているが、これは医薬品、医療機器の発達に負うと考えた方が良い。

  もちろん新しい医療技術も考案され、それも大いに貢献しているが、肝心の臨床医師の技量は上がっていないように感じられる。

  いつも処方する医薬品の副作用をそらんじていず、適切な医薬品を処方しないケースや完全な誤診も極めて多い。患者は医学については無知であるので、医師に苦情を言うケースが少ない。

  逆に手術が失敗に終わると今度は患者が牙を剥き、医療訴訟に発展する。どうしてこうなるのか。医師は職業の一種だから金を儲けなければならないが、金を儲ける前に良いサービスを提供しなければならない。そうしないから基本的に患者に信用されていないのではないか。

  整形外科、眼科、皮膚科、などには誤診が多すぎる。その科では医師がありもしない病気を作るか、あるいは不必要な検査をして金儲けに走るケースもまた多い。

人間の体の制御機構は複雑すぎ、判明しているのは3%もないと医師からも聞く。だから医師というのは難しい職業なのだ。私の病気の内喘息は遺伝子の欠陥からきていると推定できるし、不整脈は本来あってはならない電気信号が発せられるのが原因とは分かっている。

  しかしその原因がどのような経路、機序で症状に結び付いているのか、研究している学者はいない。これを始めれば新しい学問の分野が開けると思われるが、これを支援する機関が存在しない。

  医療は今後発展する産業であることは間違いない。しかし患者も無知過ぎて大病院にばかり集中して行く。だからここでも富は偏在する方向に向かっている。

  まともな医師のところでも患者が少ない。医師に難しい病気の治療に関して素人の患者には良い医師を判定する能力が欠如しているから大病院にばかり行く。そして長く無為な時間を我慢して浪費する。

  せめて医師側も誤診を失くす勉強くらいはすべきだし、まして病気を作ったりせず、過剰医療はなくすべきだ。患者も過失による誤診に対しては裁判などストレートな解決方法を取らず、病院と話し合いで解決する意思を持ってほしい。

規制緩和

  規制緩和が進むと競争が激しくなり、弱小な企業が倒産する。零細なたばこ屋、居酒屋、文房具屋、肉屋、魚屋、八百屋、寿司屋、乾物屋、工具屋、喫茶店、などの多くが姿を消した。

  そのうちイタリア、フランス、スペイン料理店も経営が成り立たなくなるだろう。国際的にみると国の弱小な産業はなくなり、その国は経済的になりたたなくなると思われる。

  ギリシャ、イタリア、スペイン、韓国、中国も危ない。横暴な政策を取っている国が経済危機に陥るのは仕方がないとしても、真面目に取り組んでいる国がそのような状態に陥るのはさけなければならないが、規制緩和をしている限り競争の原理が働き、世界中一部の国を除いて貧困の度合いは進むだろう。

  規制緩和はマクロ的に見て悪いことではない。しかしミクロ的に見ると上記のような欠点が明らかである。日本の安倍晋三氏は規制緩和に積極的なのは強大な日本一国だけのことを考えているからだ。それに対して米国のトランプ大統領は商売人だからその点を知っている。

自国にないものを他国から輸入するのは適切な行為であるが、自国にあるものを安い国から買うと自国の産業が壊滅する。イギリス、日本の繊維産業がそうだし、一時のスイス製時計がそうだった。

  政治家はマクロ経済と同時にミクロ経済も考慮に入れて行動しないと世界秩序がなくなるだろう。ギリシャやイタリアが滅んでも良いのだろうか。あるいは零細企業が日本から消滅して良いのだろうか。政治家はもっと温かく誠実でなければならない。

野党の言動

  維新の会以外の野党は必要がない。共産党は独自の政策を持っているが、この党はミクロの経済、即ち零細な会社や貧困な人のことだけを考える。そこにはマクロ経済が存在せず、彼らの政策を実行すると国は貧困になる。

  弱小な人や会社には弱小な理由があるのだ。彼らは経済を牽引し、会社を富ませる力がない。即ち保護してあげるべき存在なのだ。それを逆転してそれらを主体に持ってくる政策は却って国を亡ぼす。

  社会主義や共産主義の結果を共産党は見ないのだろうか。それらを標榜する全ての国は貧困になり、結果独裁的になったではないか。

  野党の存在価値は与党の良い政策を認め、間違った政策を質すことにある。それをしないでただ与党の脚を引っ張ることだけをする野党の存在を国民は望んでいないし、そんなことでは100年経っても野党には与党の座は回ってこない。

  現在の情勢から見ると大阪維新の会くらいがまともな野党か。社会党は村山富市という変説漢が潰したし、もう社会主義など存在できないとう結果が見えているではないか。我々は貧乏になりたくない。誰が社民党に投票などするものか。

  

定年制

  これほど馬鹿らしい制度はない。頭も体も健全でやる気のある人を年齢がある程度に達したという理由だけで、定年として解雇する。そんな会社の経営者こそ辞めてもらわなければならないし、それを放置する政府も馬鹿の集まりである。

  定年に達したからと言って従来通りの仕事をさせ、給料は半分。こんな理不尽なことがあってはたまらない。それは給料を少なくしたい馬鹿経営者の政策である。

  定年とは健康上通常に働けなくなった人や能力が減衰した人に対するものであろう。65歳くらいの人が定年で辞めていくが彼らは若い人より能力があり、仕事の結果は上だ。それなのに何故定年なのか。会社の利益を経営者は考えないのか。

  定年制を廃止する政策があれば年金支給額が少なくなるだろうし、節度ある規制緩和をしても同じ効果が期待される。どうも政治家、官僚には物を考える力が足りないようだ。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

日本の困りもの

次の記事

本能を再考する