見果てぬ夢

 誰にも人生における夢があるものです。小さな夢、大きい夢。中には結婚するのが夢という人もいます。些細な夢のようですが、本人に取っては真剣なのです。

 私にも夢はあったし、現在もあります。沢山の夢を実現してきましたが、心はそれで満足したのでしょうか。

 小学校6年生の時父が亡くなり、家族は塗炭の苦しみに喘いで、住む家はなく、6畳の部屋を借り、家族5人がそんな小さな部屋に全員が暮らしていたのです。

 趣味で知り合った人(相当年の上の人)はさる会社の専務でした。その人の家には度々遊びにいきましたが、裕福な暮らしをしていました。

 だが専務といえどもサラリーマン。家はそんなに大きくありません。でも何不自由ない生活をしていて、我が家の暮らしとは比較になりません。

 住んでいる地域は結構な高級住宅街で、大きな家が建ち並んでいたので、その辺りを散歩しながら、大きくなったらあんな家に住みたいというのが私の夢になったのです。

 それらの家からは日曜日になるとピアノを練習する音が聞こえてきます。今でこそピアノは普通に一般家庭に置いてある楽器ですが、そのころは会社の社長さん、弁護士さんなどの限られた家にしかない夢の楽器でした。

 それから私は学校を卒業してサラリーマンになり、二つの会社で10年ほど勤めました。二つとも会社の経営状態は良くなく、収入は低い状態が続きましたが、貧乏暮らしとは縁が切れました。

 二つ目の会社では大幅な人員削減があって、50人近くいた社員が8人になってしまったのです。私は残されましたが、サラリーマン生活に愛想が尽きて、独立をしたのです。

 しかし会社の運営は初めてですし、経営は困難を極めました。しかし4年目ころから会社の成績が上向き初め、何とか将来が見通せるほどになった時はさすがに嬉しかったものです。

 それからさらに2年。銀行の推薦もあり、ローンで家を購入することになりました。最初は15,6坪しかない安普請の小さな家だったので、それまでの借家と比べても見劣りするくらいでした。

 会社の経営がだんだん上向きになり、大阪にも支店を出し、社員数も増えて来たとき、思い切って大きな家を購入しました。もともとあった建物に少し増築して庭も設えたのです。

 近所にも大きい家がありましたが、私の家も案外立派で、これで長年の夢が叶いました。

 大阪にも支店があるものですから、時々大阪に行きます。元々私は大阪出身で、転勤で東京に出て来たのです。だから会社は東京にあり、大阪への出張は里帰りのような気持がしました。

 そんなある時、自分の夢だった家を見にいこうと決心したのです。そこら辺りは高級な住宅街だと思っていましたが、改めてみるとたいしたことはなかったので、ちょっとがっかりとしましたが、夢に見た家はまだありました。

 しかしその家は老朽化して、思ったより小さく、どうしてこれが自分の夢だったのか、首を捻りました。

 そうです。見た夢は果たしましたが、心には風が吹き抜けたのです。中学校時代から見た夢。それを達成したのにこの心の空虚さはどうしたことなのか。

 それからは違う夢を追いかけました。そしてある夢は果たし、ある夢は果たせない人生を歩いてきました。

 今でも時々果たせなかったことにたいする夢(本当の夜見る夢)を見ます。それは中学時代から始めた昆虫採集で、やり始めたけれど、電車賃がなく、途中で止めざるを得なかったのです。

 でも今はその程度の交通費は捻出できます。しかし私はその夢を夢のまま、置いておくことにしました。汗一杯にかいて山を登り、昆虫を探した若い頃が懐かしい。それは見果てぬ夢で、それで良いと思っています。

酒巻 修平

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