人は10年でどう変わるか

 先週の土曜日弟の一番下の息子の結婚式に呼ばれて出席した。茅ヶ崎にある結婚式専門の会場で、駅から送迎バスが出ているが、到着時間が早すぎ、タクシーに乗った。

 ワンメーターで行くと言われて乗ったのだが、そのワンメーターが730円だった。運転手に聞くと410円がワンメーターなのは東京の一部だけだそうで、驚いた。

 目出度いことだし、運転手もどうも稼ぎが少ないようなので、景気付けに1000円払い、おつりは要らないと気前の良いところを見えておいた。

 親族の控室に行くと新郎側の親族は全て揃っていて、早めに着いたのは正解だったとほっとした。弟は6人もの子持ち。日本国の少子化防止に貢献している。

 1,2度はその子供たち(もう全員30<歳以上)には会ったはずだし、前回の誰かの結婚式の時には親(即ち弟)を先に家に返し、全員を引き連れて飲みにいったのは覚えているが、顔を覚えていないのもいた。

 だが全員なんとか道に外れない生活をしていて、一安心であった。離婚した子、再婚してすでに2人の子持ちの男、まだ独身の人間、様々な人間模様を見た。

 弟は零細な会社を経営していて時間も精神も経済的にも子供全員の面倒をみることができない。それが却って良かったのか、全員まっとうな社会生活を営んでいる。

 前回会った時は結婚していない子供が多かったが今回はほぼ全員結婚している。前回から多分10年ほど経ったので、その変化に興味があった。それなりの努力をしているやつはそれなりに成長しているし、そうでないやつもいた。

 有名大学を卒業したなどというのはいなかったので、大会社に勤めているのはいない。6人の中の一人は父親(即ち弟)の零細企業を手伝っている。上手くいけばこの者が父親の企業を継承するのだろうが、それまで会社が存続できるか。それは何とも言えない。

 そのうち式が始まった。女性の歌手が讃美歌らしい歌を歌っている。私も声楽を何十年も勉強しているから大体歌手の技量が分かる。その女性の発声は普通だ。プロとして給金を貰えるレベルではない。

 牧師はまだ若い青年で、日本語があやしい。どこかのポイントで英語に切り替えて宣言のようなことをやる。しかし多分出席者の中で一番英語がましな私にも発音がはっきりしない。英語でそんなことをやる必要はないはずなのに、演出家あるいは日本語への翻訳をしなかったのか、それとも牧師の怠慢か。

 でもこれで良い。社会のレベルというのは政治のレベルではない。適当にレベルを保ち、それで皆が満足する。社会はそれで動いていくのだ。

 式が終わり、披露宴が始まった。私はワインを飲み、それからビールをちょっととシャンパンを一杯飲んだ。食事はフランス風で、味は許せる範囲。でもサービスは良かったし、感じが良い。

 私の息子は結婚式関連のビジネスを経営しているから、久しぶりに出席するこの結婚式にはとても興味があった。最近は仲人などいない。でも親が子供の結婚を親類縁者に披露するという形式は変わっていない。

 主賓のやけに派手な服とネクタイを締めた新郎の勤める会社の社長がお祝いの言葉を述べる。その会社の営業部長が音頭を取って乾杯の後、食事が始まった。

 そのうち座が騒がしくなり、どこがどうなっているか分からなくなったので、私は隣に座っている弟(新郎の父)と2時間も話した。弟は相変わらず気楽なものの考え方をしている。

 出席した親類縁者の女性は全く変わっていない。10年分年を取り、少しは老けたがまだ老人と呼べる風貌の人はいない。感じの良い人は今も感じが良いし、嫌味な女性は相変わらず嫌味で、自慢をする人は相変わらず何の意味もないことを自慢する。

 趣味だけを頼りに生活をする人が変化するには自分がよっぽど努力をしなければならない。しかし会社に勤めている人、小さくても会社を経営している人はそれなりに成長していた。

 どうもやはり人は一人では生きていけないものらしい。人に教え、教えられて進歩、退歩する。もちろん聖人君子は自己反省を旨として自分を高める努力を怠らないのだろうが、普通の人はそうもいかない。

 この式の出席者の中では私が一番年長だと思うが、自分もこれからまだまだ進歩していかなければならない。そうでないと生きている意味がない。そんなことを考え、色んな意味で久しぶりに面白い経験をした。

酒巻 修平

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