家、僚、官、事、士、師、人、者、員、手

 これらは全部人の地位、職業を表す言葉です。思い付く限り列挙したのですが、まだあるかも知れません。

 政治家はいまだ江戸時代の階級制度を懐かしんでいるのか、国家は自分たちで運営すると考えているようです。

 ですから彼らは「家」という漢字を職業の前に置いています。実は離婚経験のある人、特に女性が「x1」とか言われている時代がありました。

 会社の取締役などが退任するとやはり名前を消すのに「x」を付けていたので、総務省だったかどこかに電話をしてクレームを付けたことがありました。

 その時の彼らの反論として明治からそういう習慣だと言うので「おかしいじゃないか。明治では平民は相変わらず江戸時代の実質平民に過ぎず、政府は軽んじていただろう。そんな差別的な慣習をいまでも引きずっているのか」と強く非難するとその後1年以内でその「xl」を名前の上に付けるのを止めたのでした。

 だから彼らは不当にも自分たちは国民の上位に位置しているという感覚があるようです。

 ですから政治「家」を付け、政治家と自称するのです。それを助ける同僚的な意味合いで中央官庁の国家公務員を「官僚」と呼びます。

 「僚」は同僚などと呼ぶときに使う漢字で友達くらいの意味でしょうか。画家、吝嗇家、などにもこの「家」という漢字を当てますが、ちょっと蔑んだ言い方です。 

 政治家や官僚は自分たちを将軍、老中、側用人、寺社奉行、若年寄と同様の役職と考えているようです。

 徳川幕府は自分たちのことだけを考えていたので滅びてしまいましたが、滅ぼした薩長土肥も決して市民革命を起こしたのではなく、徳川に代わって天下を取ったつもりでいたのです。

 明治維新などを大きな近代化と考えてはいけないのです。これは誰かも言っているようで、名目は天皇を上に戴いているが実は徳川幕府の在り方を模倣したかったのだと分かります。

 幸か不幸か外国が日本に開国を迫り、それが理由で徳川の制度は長くは続きませんでした。ですが身分制度は第二次世界大戦で日本が敗戦するまで続いたのです。

 「官」は言わずと知れた国家に勤める人のことです。外交官、警察官、裁判官などとして使います。

 最高裁判所長官は徳川時代の町奉行兼寺社奉行です。国家が使節としての外交官を持ち、警察官は江戸時代の与力、同心です。

 当時は家柄が基準でしたから上位の家柄の武士は与力になり、同心はその部下でした。今は家柄という制度はなくなりましたが、戦前はまだ厳然と残存していました。

 それに代わる制度が試験制度です。単なる記憶だけに頼った制度で与力はキャリアになり、ノンキャリアは同心です。

 試験に合格した人を上位に持ってくるのは中国の科挙の制度を模倣したものですが、ここにも日本の前近代的組織が残っています。

 科挙の制度が存在したことで中国は近代化が遅れ、アヘン戦争などを起こされ、列強に実質占領されてしまいました。そんな組織を日本は保持しているのはどういう訳でしょうか。

 国家試験を合格した人の職業の後ろには「士」を付けます。これは武士の「士」から来ているようです。

 国家を運営する人を支え、運営の潤滑化に寄与させようとしたのです。弁護士、会計士、税理士、司法書士、行政書士、社会保険労務士、不動産鑑定士、土地家屋診断士、中小企業診断士などがそうです。

 江戸時代の裁判は公事と呼ばれ金銭トラブルを幕府が解決していました。公事に持ち込むのは農民が多かったのですが、そんな地方から出て来る農民を専門に泊めた宿泊施設が公事宿で公事師はそこの主人。公事師は農民の公事を助けました。それが弁護士の始まりです。

 弁護士はですから、宿屋の主人が職業として認められたのです。決して立派な職業ではなく、今でも弁護士はよく客とトラブルを起こします。

 国家は自分たちが関与した試験などを重く見ますが、これも江戸時代の風習を踏襲したものです。

 事はどうでしょうか。検事、判事なども国家に関係している人たちです。日本はいまだに国家中心的な国なのです。公事の「事」から来ています。

 師は看護師、鍼灸師、教師、医師、調理師などは幕府と関係が薄い人がなった職業でした。どうも心身の健康に関係している職業に多く使われるようです。

 人は特殊な職業の人を指す言葉です。軍人がその例です。江戸時代国家の危機存亡の時にしか政府の関係者は戦に行かなかったのですが、代わりに軍人(農民たちが徴発された)を戦地に赴かせました。詩人、俳人もそうですね。

 者になるとどうでしょうか。すぐ思い付くのは役者です。江戸時代には軽んじられた職業ですが、大衆には人気がありました。労務者、易者などこれらの職業で使われた言葉です。これらは市井の職業でした。

 員は公務員、社員、駅員、店員、職員などに使われ、公務員では武士ではない若党、中間、小者、手代、小僧の現在版でしょう。

 手になるともう職業とは言い難い職種というくらいの言葉の現在版です。運転手、助手、歌手、選手などがそれに当たります。

 こう見ると日本は実質まだ封建時代の名残を多く残しています。政治家は先生などと呼ばれ半分馬鹿にされ半分は利権を求めて表面上尊敬の念を表すようです。

 江戸時代、職業は身分に左右されていましたが、今は筆記試験でそれが決まります。筆記試験の成績が良くても仕事は別で、弁護士でも無能な人が沢山います。

 そんな風潮も薄れてきてはいますが、政治家や官僚たちは自分たちの国家だという観念がいまだに強いようで、それが良い面に出れば良いのですが、どうもそうとは言い切れないのは全員が知っているところです。

酒巻 修平

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