頭はある程度の年になっても良くなるか

 答えから書くと良くなります。現在大学に入学するまでの人のやっていることの大半は受験勉強でしょう。受験勉強は勉強という名がついていますが、これは勉強ではありません。

 大学を卒業してしまうと「勉強」したことのほとんどが頭から消え去ります。我々もよく言うのですが、「それは学校に置いてきた」のは事実です。社会人になると学校で勉強してきたことなど全く役に立ちません。

 日本で最も難しい試験の一つである司法試験についてベテランの弁護士さんに聞いたことがあります。司法試験は仕事に役立ったかと。答えは「役に立たない」です。

 それはそうでしょう。司法試験も現実に起こることを前提に出題されている訳ではありません。人は思いもよらない思考や行動をするので、前以て想定できないことが多いからです。

 受験制度の最大の欠点は記憶の量に最大の力点を置いていることです。しかし記憶したことなど今は検索すればいくらでも出てくるし、本当に役立つ情報はとても少ないのです。情報は自分の足で稼いだものが最良だということは誰もが感じています。

 問題は種々の情報の中から真正な情報を如何に選択、利用するかなのです。これには思考という頭脳の作用が欠かせません。東マケドニアだったか、ある村の若い人が面白いが虚偽の情報で大きな金を稼いだということがありました。

 虚偽の情報を流すのは法律では禁止されていません。情報には虚偽、真正など入り乱れ、玉石混交なのです。

 頭脳を使うレベルでは低い方から、記憶、思考、創造と高くなっていきます。思考とは種々の情報を整理、分解、組立という作業をすることです。創造は何もないところからある発想を得るのです。

 もちろん何もない所から新しい発想は生まれません。そこにも何かベースになる小さいけれど貴重な情報が存在するのです。作曲は創造を元に行われます。しかし大昔の作曲家でも風の音、鳥のさえずり、川の流れから単純な作曲をしたでしょう。そういう単純なものから高度で芸術てきな音楽が生れるのです。

 大学までの学生はそんな無駄なことを沢山しているのです。社会に出て、仕事の場に立つと如何に自分が無駄なことを沢山やってきたかが実感できます。

 受験「勉強」で鈍った思考力は取り戻さなければなりません。頭が良いとは記憶力が良いということではなくて、思考が如何に深いか、広いかであり、もっと要求するなら何か新しいことを創造できるかです。

 その点受験勉強をしないで大学に入学した人は大体優秀です。記憶することだけに頭脳を使っていない分、思考力があり、たまには創造力もあります。

 戦後の日本の文化の担い手である松本清張、松下幸之助、本田宗一郎、田中角栄はそんな記憶を主とした「勉強」を全くやっていません。小学校か中学校くらいの学歴で日本を動かしてきました。

 貴方がそんなことに気づき、年も努力すればあなたの頭は相当良くなっているはずです。同窓会に出席すればすぐに分かります。大会社のサラリーマンは記憶力を重視して使うことを強制されるので、頭が鈍っています。これは要注意です。

 これからの社会はますますコンピューターに依存するでしょう。そうなれば頭を思考に使う機会はますます少なくなります。ですが、その裏で思考力、創造力を駆使してシステムを開発している人がいます。その人たちは大きな富を手に入れるでしょう。

 どうも社会は貧富の差が激しくなる方向に動いているようです。そうであれば記憶だけに頼る人はこれから貧民になるでしょう。思考、創造する人が富を独占するでしょう。

コンピューターを使用する時、使用方法は記憶しておかなければなりません。普通ちょっとは考えれば社会生活は送れるはずです。お金を払えば物は買えますし、電車に乗ることもできます。しかしコンピューターが社会に進出するに従ってそれでは生活できない場合が多くなりました。

 券売機で食券を買わなければうどんも食べられない。暗証番号を忘れてしまえば、自分のお金を引き出せない。アマゾンで本を買うにもを設定し、決められた手順を踏まなければなりません。

 それら全ては記憶に基づいた行動です。システムの使用者で、構築者でない人は貧民になるより道がなくなるように思えてなりません。

 努力して思考能力を会得しましょう。そして脳はそのような努力に結果を出してくれます。

酒巻 修平

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