貨物船乗船

 大分昔の話しになるが、貨物船に乗ったことがある。私は荷主の一人だ。好待遇を期待した。

 その前に客船に乗った経験もあるから、そのイメージで乗船したのだが、最初の印象は客船とは大きな違いがあった。こう話すと待遇や客室が悪いと思われてしまうのだが、実際は真逆だ。

 先ず個室が与えられる。それも広い。客船の特等と比べてもこちらの方が断然いい。だいたい10畳程度あったと思われる客室には応接セットも置かれ、そこで仕事もできる。ベッドは極めて狭いのだが、これには訳がある。

 ただこれは客船ではないので、乗員は私に客船並みのサービスはしない。アトラクションなどの催し物も皆無だ。すなわち退屈この上ない。

 ただ食事は上質だ。乗った船が沖縄の船籍で沖縄産の牛肉が時々供される。神戸牛や松坂牛と比較しても劣らない味だが、部位はフィレではない。もも肉などが多かった。

 野菜も保存が良く、毎日食卓に並ぶ。船員を含め乗客もとても大切にされているようだ。

 いよいよ出航。だんだん陸地が小さくなっていき、大海原が眼前に広がる。カモメがしばらく付いてくるがそれも姿を消すともう日本とはおさらばだ。ここでの法律は船長の決断の内容次第で、国内法が適用されないこともある。

 一日目は雄大な景色に見とれ若い自分がこんな経験をしたのをラッキーだと思う。二日目、船の回りをトビウオが沢山跳ねる。イルカも時々近寄ってきて好奇心を見せる。

 甲板に寝そべりながら、あれこれと考えるが、それもこの雄大な景色の前には色褪せる。何と小さいことを自分は考えているのか。海にはそんな思いをさせる力があるようだ。

 三日目、だんだん単調な景色が忙しい都会の生活に慣れた頭を空虚にする。跳ねるトビウオは相変わらずだが、それを見るのは飽きてしまった。陸地が見えないか目を遠くにやるが、島影さえない。

 四日目、海の景色にも倦み船内と探訪することにした。操舵室、機関室、そこへ行く廊下。色んな装置が珍しいし、一等機関士の人とも話しをした。船の事は何でも知っている。

 船長さんとも話しをしたいが、船の上ではこの人は天皇陛下、内閣総理大臣、司法長官の全てだ。偉い人で若い乗客とは話しはしてくれなさそうだし、近づくのも遠慮がある。

 この船は10000トンくらいの大きい船だが、船員さんはたったの7人。よくそれで運行できると感心したものだが、それ以上の経費は掛けられないようだ。

 その人たちとも話しをした。面白い人、真面目な人、ちょっと狡い人、特徴のない人。これは陸の人と同じだ。ここは小さな国なのだ。

 一つの娯楽室がある。あるのは麻雀台だけで、4人が競技に熱中している。私も麻雀ができるが下手だ。そんな人間が競技に混じると迷惑を掛けると遠慮する。

 片道8日間で目的のラバウルに付く。そこで私は買った材木の荷捌きを監視する役目だ。しかしそうは言っても私は素人。荷捌きの手順など分からない。ただ見ているだけ。何故会社が私をこんなところまで派遣するのか理由が分からない。

 ラバウルまであと3日。私が勤めていた会社は今で言うブラック企業である。乗船の運賃も払ってくれていないし、持たされた金額はオーストラリアドルで100ドルだけ。そのころ1オーストラリアドルは400円だった。

 向こうに付いて自分はどうしたら食事を買えるのか、住居はどうしたら良いのか。若い私は考えなかった。だが兎に角退屈が先だ。麻雀を見にいった。ある人の後ろで見ているとその人が抜け、私にやらないかと声が掛かった。

 何度かやったがそのうち夕食になり、一時中断。夜の10時くらいまでやった。そうこうしているうちにやっと目的地に到着。下船した。

 帰りは相客がいた。しかしその人は船酔いするタイプの人で船が出航するとすぐに部屋にこもったきりになってしまった。来るときにイルカやトビウオは見ているし大海原はもう飽き飽きしていた。

 やることと言えば麻雀。しかしレートは低いがこれは賭け麻雀だった。やることはない。時々デッキに出るが毎日同じ光景。陸地は見えないし、何だか牢屋に閉じ込められている感覚が襲う。

 指折り数えてもなかなか日数は経っていかない。犯罪者はどのように牢屋で過ごしているのか、気持ちが分かるような気がする。そのころはコンピューターなんて洒落たものはない。

 また麻雀。いくら負けたか、もう勘定できない。一人狡い人がいて、私を騙しに掛けるようなことをする。抗議してもへらへらしているだけ。だが私から船上で麻雀を取ったらやることがない。こんなことなら本でも沢山持ってきたら良かったと後悔したが後の祭り。

 しかし日は進んでいく。そのうち台風がやってきた。ここでは国内の天気予報など役に立たない。船長の出番だ。西に進路を取れば良いか、東が正解か。船長の決断に委ねられる。

 夜は眠れない。船が木っ端のように揺れる。10000トンの船も台風に掛っては赤子同然だ。ベッドの上で体が左右に揺すぶられる。しかし落下防止策として金属の冊が設けられている。道理でベッドが極端に狭いんだなと、その時気が付いた。

 波が船の側面や底を打ち付ける音は「ザボーン」ではなく、「ゴーン」と聞こえる。これを「water hammer」と言うらしい。まるで船の鋼板をハンマーで打ち付けているようだ。

しかし船長の進路決定が適正だったのか、台風は1日半で進路から逸れた。また静かで退屈な日々がやってきた。朝食を済ませると早速麻雀。狡い人に嫌悪感を催しながら、競技に参加する。

ラバウルを出航してから8日経った。でも台風の影響で少し遠回りをしている。まだ陸地が見えない。後何時間だと船員さんが教えてくれる。しかし遠視の私にも陸地の陰は霞んでも見えない。

しかし正午を過ぎたころ船員さんが私のいる甲板にやってきて、「それあそこに陸の影が見えるだろう」と言うが、私には見えない。それから1時間やっと見えた。それが大王崎だった。

涙が出るような気がした。嬉しい。やっと牢屋から解放された気がした。それから何時間か。船は焼津に着いた。会社の人が乗船料を持ってやってきた。船員さんは何事もなかったように下船していく。この人たちは退屈に慣れているのだ。だから忙しい陸の仕事は無理なのだ。

会社の人は私の婚約者を連れて来てくれていた。彼女が何と神々しく見えたことか。憎たらしくなった妻の顔を見て時々その時の神々しさを思い出す。

酒巻 修平

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