中央分離帯

 車で走っていると誰もが横を通過する中央分離帯。サツキや他の背の低い樹木が植えられていることも多い。松任谷由実がカバーした「カンナ八号線」という歌の歌詞にも出て来る。

 この分離帯を設ける理由は交通の安全を図るためだが、色々な見方がある。車が信号などで停止すると運転手の目はこの中央分離帯に向かうことも多い。植物が好きでない人に取っては煩わしい信号待ちの象徴でもある。

 しかしそれだけではない。歌に歌われるほど関心のある道路の一部と見なすと違った目を持つこともできる。松任谷由実はこの他に「中央フリーウェイ」という歌も作っているから、道路に興味がある人かもしれない。

 樹木を植えるには東京の場合都や区が予算を付けなければならない。予算がない場合はそのまま放置し、雑草が伸び次第になる。

 私は植物に関心があるので、この雑草が好きだ。一日中そこには陽が当たるので、それを好む雑草が一面に映える。結構綺麗な花を咲かせる雑草も多い。

 名前は分からないが、紫色の小さな花を咲かせる雑草が好きだ。落ち込んでいた時その花を眺めては心を慰めたこともある。

 その中に混じって蘭が咲いていることを知っている人は少ないだろう。青山通りという大きな道路の近くの中央分離帯には沢山蘭の花が咲いている。

 ネジバナという種類で、古くは「もじずり」と言った。紫式部源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの一人といわれる源融という人が詠んだ

「陸奥の しのぶもじずり たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに」という和歌は百人一首にも出て来る有名で優雅な歌だ。

 この人はもじずりは陸奥に生えていると言ったがこの欄は日本全国どこにも生えていて、彼がいた京都にも勿論生えていただろう。陸奥とは遠くということを意味し、恋する女性の存在を遠くに感じるくらいの意味だろう。そんな解説はこのもじずりという植物の分布を知らない学者にはない。

 この歌は高等学校の教科書に出て来て、私の記憶に残った。だから私に取っても懐かしい花で「ネジバナ」という現在の分類学上の名前は馴染めなくて、「もじずり」と言っている。花序がねじれているのでネジバナと称されたのだろう。今の時期可憐に咲いている。

 だが区役所がそんな雑草を一年に一度くらい狩ってしまう。無粋なことこの上ないと恨むのだが、そんな雑草に興味のない人に取って雑草は醜い存在としか映らないのだろう。

心が充実しているとそんな雑草には興味を失ってしまう。人は精神のありようで、興味の対象が変化するのは止むを得ないが、私もそうだと気づき、今は意図して分離帯で懸命に生きている雑草を見ることにしている。

中央分離帯で少し目立つ花は10種類くらいあるだろうか。最近は外来種が浸食してきて、日本固有種は追いやられて行くのが悲しい。いずれ政策的にこの中央分離帯も消滅すると都会に咲く欄はもう見ることができない。文化とはどういうことか、文明とはなにか考えさせられる。

そう言うわけで中央分離帯は舗装していない。舗装は地球温暖化の一原因だ。だからこの中央分離帯のような未舗装で、土が見えているところがもっとあって良いと思うのだが、そんな政策は今のところ聞いたことがない。

CO2の排出で地球が温暖化していると言う説には賛成できないが、部分的には土や小さな河川、鉄筋コンクリートのビルの増加なども確かに付近の気温を上下させる。

舗装道路は便利ではあるが、温暖化の原因にもなる。それに風情が全くなくなる。現在の都市に住む人たちは舗装道路が当たり前だと考えているだろうが、昔は舗装率も低く、土の未舗装の道路には馬糞も落ちていた。

人は自然から発生した生物である。だから自然は心のどこかに自分ふるさとと思っていると思う。そうであればいつの日か文化、文明の意義を考え直して都市に自然を回帰させる政策が取られると確信する。

いや、すでにそれは始まっている。人の良心はそれが大切なことと考え、人は自然と生活を共にするのが豊かだと思うだろう。

酒巻 修平

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