天才の苦悩

天才が何故出現するのか生理学は解き明かしていないが、天才が存在しているというのは厳然たる事実である。天才は他の普通の人ができないことを成し遂げてしまう。

天才は特別な存在であるので、普通の人と自分を比較することはしない。そんなことをしても無意味だ。それでは天才の努力目標は何だろうか。

謂わずと知れた自分が自分の目標なのだ。だから自己ベストを出すことに執念を燃やす。しかしそれには終着駅はない。そこが天才の苦悩の原点である。

天才は99%の努力と1%の天分であると言った心得違いをした人がいる。高度な努力を長時間できるという天分を持っているから、天才なのだ。

長時間受験勉強に自分の時間を当て、東京大学に入学する天才もどきの人がいるが、これは99%の努力を無駄なことに費やしただけで、そこには新しい発明、発見はない。誰もが簡単に知り得ることを只丸暗記して表面上の名誉を手に入れた極めて凡な人で天才のかけらもない。

天才は已むに已まれず高度な頭脳の働きを追及する一種の病気の人であるが、その努力の結果が人類に益をもたらす。非常に貴重で、人類の宝と言えよう。

天才は病気であるが故に留まる術を知らない。自己の生活を楽しむことはない。フランス料理や寿司を食べたいとも思わないだろう。彼らには頭脳をより高く働かせる願望だけが支配している。

ただ天分の存在する時間は限られている。精々20数年であろう。それを過ぎると只の凡人になっていくのが通例だ。傍から見ていると極めて優秀ではあるが、それは天才の能力ではない。

優秀な能力の持ち主は秀才であり、もはや創造力はない。天才が天分を失う理由も定かではないが、多分天分を発揮する時、脳に多くの血液が流れ込む。ところが固くなった頭蓋骨は血液が流れ込んで容積が膨張した脳を受け入れられない。だから結果として多くの血液が流れ込まない。

一度脳に入ってきたデータを消去できない、すなわち一度見聞きしたことは記憶したままで忘れることはない。そんな人がいる。恐るべき記憶の持ち主であるが、脳は通常必要のないデータ(記憶)を消去する能力を備えている。

その機能が欠如した脳は病気であるが、その人は天分を持っていると考えても良い。一般生活を送れない天才画家もいたし、ポアンカレの予想を証明した天才も人とコミュニケーションを取る能力に欠けていた。

天才は自分が天才だとどこかで知っている。ところが年を取るに従ってその天分が失われる。ニュートンもアインシュタインも中年過ぎになると単なる秀才になり、社会活動の主役になってしまった。

天才には2つの苦悩がある。一つは自己の天分との果てしない戦い。もう一つは天分が無くなっていく精神の崩壊との戦いである。

神は頭蓋骨を年と共に難くするように人間を作ったのだろう。そうでなければほぼ全ての考える人間が天才になってしまい、社会は混乱する。彼らは病気なのだ。病気でない人が社会の秩序を守っている文明社会では天才でない多くの凡才が必要なのだ。

人の脳のデータ処理の機構には主として3つある。記憶、思考、創造はそれぞれ脳の違う部分が担当する。記憶力を駆使しているばかりでは記憶を司る部分が肥大化して、思考、創造を働かせる部分が小さく追いやられる。

人の頭脳の能力が最大限生かされるのは思考と創造であろう。思考をすることを日常行っていれば、脳の全体の容量が変らなくてもその部分は大きくなり、記憶をする部分が小さくなる。

考えよう、新しいことをやってみよう。そうすれば10年で思考力が人より増し、頭の良い人に生まれ変わるし、創造を旨とした脳の使い方を持続するといつも何か新しい事物を作り上げる能力が身に付くだろう。

生まれつきそんな能力を持っている人が天才で、データ処理の全てに極端に優れている。それが減衰してきた時の天才の苦悩は大きい。多分アルツハイマーを実感した時と同じような感覚が起こってくるのではないか。

天才とは不幸な人である。自分の脳を最大限に生かす生活を送っているが、脳を使った結果は一般の多くの凡人が利用する。

酒巻 修平

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