村の船頭さん

 村の渡しの船頭さんは

今年六十のお爺さん

年はとっても お船をこぐ時は

元気いっぱい櫓がしなる

ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

この歌の歌詞からは色んな情景が浮んでくる。先ず当時は六十と言えばお爺さんだったことだ。お爺さんはもうすぐこの世からおさらばするくらいの年。それでも船を元気で漕いでいたということだろう。

今60歳の人は定年退職前だし、お爺さんと呼ぶと叱られること間違いない。どうしてそうなったんだろうか。この歌のお爺さんは病気をしているわけではないのにお爺さんに見える。

子供が見たからお爺さんに見えたのだろうかとも思うが、どうもそうではないようだ。誰が見てもお爺さんに見えたんだろう。作詞者は大人だからこの想像は的外れとも思えない。

人類、少なくても日本人は進化して平均寿命が長くなったのではないだろうか。医学の発達は平均寿命を長くするのには貢献しているが、病気のない人を長生きさせる力はない。

歌詞から想像できることはこのころのお爺さんは今の80くらいの人ではないか。そうすると20歳も人は長生きになったのだ。官僚や政治家は多分この歌を知らないのだろう。

知っていればその状況に対応する政策を取っていたはずだ。今多くの会社での定年は65歳くらいではないだろうか。そうするとまだお爺さんでない人を定年と称して強制的に退職させる。

その会社のエゴイズムを官僚、政治家は阻止しない。あるいはできない。そして自分たちの怠慢を棚に上げて年金が足りないと若者人口が減った所為にする。自分たちの無策は忘れているのだ。

私はこの歌を知っているし、子供のころ歌った記憶もある。缶蹴り、隠れん坊、鬼ごっこ、縄跳び、石投げ。その頃の子供はそんなことをして遊んだ。カルタもやったし、双六、トランプ、神経衰弱。室内遊びも盛んだった。

小学校も高学年になると、ませてきて、百人一種、将棋、花札などをしたし、本も沢山読んだ。自転車は買ってもらえなかったから、貸自転車を借りて時間一杯走った。遊び呆けた。

今はそのような光景はない。子供は受験勉強ということで丸暗記ばからさせられ、豊かな精神がどこかに飛んで行く。幼稚園の入園試験というのもあるらしい。大学は大会社に入社するための予備校。小、中学校は大学への予備校と化し、やっていることは勉強ではない。クイズの回答をする技術だけを教えられる。

ではそんな世の中が豊かになったか。人は優秀になったか。世の変化に付いていける人材がそろったか。答えはノーである。

我々世代は受験クイズを真剣にやった若い人を馬鹿にしている。物を考える力がない。変化に対応できない。道徳観念が欠如している。異性にも興味を示さない。原因は何であろうか。

人が進化して逆に能力が薄くなっているのかも知れない。そうであれば打つ手はない。だがこれが無能な官僚や政治家が作った社会だったら、まだ救いようがある。

無能な官僚ではなく、有能な人を採用する。人柄の優れた政治家を選出する。それだけでも大分違うだろう。あの下らない受験勉強。遊びを忘れた子供。だから考えることができない。

官僚登用試験に「考える力」という項目を入れたらどうだろうか。自由選挙制度の改革も必要だろう。失言は許されないと知っているのに、失言をする政治家。頭脳が低い証拠だ。

顔が良いから、女性だからと投票する有権者。もう止めて欲しい。正当に物を考え、豊かな人柄の人を選んで欲しい。そうできない人は選挙に行かないで欲しい。

何故未熟は18歳を有権者にしたのか。彼らは税金を支払っているのか。義務もまだ果たさなくて良い若者を有権者にするなど、勘違いも甚だしい。誰がこんなことを考えたのだろうか。

昔の村の船頭さん。生き返ってきて叱って欲しい。

酒巻 修平

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