ブランド商品

 ルイビトンというバッグメーカーがある。日本のほとんどの人が知ってているブランドだ。旅行用バッグとして王侯貴族に愛用されて有名になったメーカーだが、日本人はバブル時代に若い女性がこのブランドのハンドバッグをこぞって買った。

 中には女子高校生も持ち、日本中でこのブランドは持てはやされた。男はそんな現象を馬鹿にして見ていたが、バブルが弾けるとそれまでの流行は下火になった。

 今でもそこそこ売れているブランドだが、買った人に聞くととても堅牢だとのこと。その人が買った理由はそんなことではないだろうが、長持ちするということは事実のようだ。

 日本で飛ぶように売れているころアメリカ人にこのブランドについて聞いてみた。彼らは一様に興味を示さず、あんなプラスティックのバッグは持ちたくないと言った。

 堅牢という意味では価値があるが、ただ有名だというだけで、デザインは頂けなかった。その後能力のあるデザイナーを雇って今はデザインにも見るべきものができたが、もう持っていると恥ずかしい気がする。

 話し変わって「きたむら」というバッグメーカーが日本にある。秋篠宮妃のお母さんが一時持って話題になったブランドだ。ただ「K」というロゴが入っているだけのもので、一般庶民が持つクラスである。

 お母さんも自分の娘がまさか皇室に嫁に行くとは思っていなかったのだろう。バッグも高級品ではなかった。確か横浜辺りのメーカーが使ったものだろうが、皇室に愛用されるレベルでもないし、歴史もない。

 そのメーカーが偶然の僥倖で有名になった。あれよあれよという間に横浜で何店舗も持つようになり、先行き危ないと思ったが、案の定だんだん見なくなった。これこそ何の取柄もないブランドだ。

 折角のチャンスだったのに優秀なデザイナーも雇わなかったので、今でもただ「K」のロゴを表示しただけのもの。

 人の頭脳には飽きるという機能が備わっている。いわゆるブランド商品も飽きられてしまった。第一普通の家庭で普通の収入を得ている人がどうして身分不相応な高価なものを所持しているのか、アジア人の模倣文化には呆れてしまう。

 デザインが良い、長持ちがする、サイズや機能が便利だなどの理由で買ったバッグがたまたま有名ブランドであれば、それはまともな考え方によるだろう。だがこのブランドだから買うという姿勢にはどうしても納得できない。

 今や中国人、韓国人が有名ブランド品を好んで買っている。とするとアジア人には創造性という観念がないらしい。買うものを決めるには値段の高さ、ブランドの知名度、有名人が持っている、雑誌に載っていた、などなど自分の判断はどこにも入っていないことが多い。

 多分皇室の女性はそんなブランドバッグは持たないだろう。しかし誰もが同じように似合わない帽子を被っている。同じ日本人として恥ずかしい。折角世界一長い歴史がある家系なのに、どうしてあんな陳腐な恰好をするのだろうか。日本文化はその程度のものだろうか。

 洋服は名の通りヨーロッパ起源の衣服である。そうであれば模倣をした日本のデザイナーがヨーロッパのデザインに勝てるはずがない。もう少し予算を使ってヨーロッパ人の優秀なデザイナーを雇えばどうなのか。

 イタリアへ仕事で行った時に日本の「打掛」の中古を土産に持っていったことがある。確か1,2万円で買ったと記憶しているが、上げたイタリア人の女性はそれを見て「わおー」と歓声を上げた。デザインが素晴らしい。

 そして質問した。「日本にはこんなに素晴らしいデザインがあるのに、どうしてイタリア製やフランス製のデザインを欲しがるのか」と。

 その意見に私も同感だ。最近の着物のデザインは昔ほど良くない。それは日本人が日本の文化を重んじていないからだ。悲しい。それにどうしてこの国の人は自国を卑下するのか。一度くらいの敗戦で全ての文化を捨てることはないだろう。

酒巻 修平

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