猫の「たま」魚が欲しい

1年ほど前から野良猫が我が家に住み付いている。時々野良に帰りたいようだが、妻はそれを許していない。その代わりトイレや爪研ぎを設置し、毎日の食事を与えている。名前は「たま」だ。

夕食時になるとその「たま」がテーブルに乗ってきて、魚を狙う。口でも付けられたら、後は食べられないので、追い払うがまたすぐやってくる。

テーブルは猫に取っては高い。人間でいうと3m以上ある筈だが、そんなのはもろともしない。音もなく床から跳び乗るのだ。

妻が焼き魚の皿を乗せると途端魚を舐めようとするので、妻は大きい声を出すのだが、どうも無視している。さすがに私の声はドスがあるのか、すぐ逃げる。

でも妻はテーブルに座るとその前に腹を見せては甘える。食料などは私の稼いだ金で買っているのに、そんなことを「たま」は忖度しない。私などは見向きもしないのだ。時々腹が立つ。

朝起きてくるとやはりテーブルの上に置いてある文箱の上に鎮座していて、私の顔を見ると「にゃあ」とは鳴くが、別段嬉しそうでもない。

それなのに妻が外出から帰るとどうして分かるのか、門の前辺りに近づくと嬉しそうに「にゃあ、にゃあ」と喜びの声を上げる。妻が部屋に入ってくるまで、ずっと泣きっぱなしだ。

それを見て私は余りの不公平に少し苛立ち、不公平に腹が立つ。何とかこいつをこちらに振り向かせたい。ごろごろと喉を鳴らさせたいと思うが今までやった手段は全て失敗に終わっている。

結局こいつは食料をもらっているから妻に懐き、関係のない私には見向きもしないのだと分析した。こうなれば実力行使だ。

ある日の夕食に鰹の刺身が出た。一切れ「たま」にやって歓心を買おうと考えた。何とも浅ましいおべっか作戦に打って出ることにしたのだ。

日ごろ妻は食卓のものをやってはいけない。キャットフード以外は禁止と定めている。どうしたあんな変な匂いのするものを猫は好むのか分からない。聞くところによると猫の健康を考えて特別に製造したものだそうだ。

いよいよ日本では売るものがなくて、猫にまで手を伸ばしたのかと慨嘆したが、妻など宣伝に惑わされてキャットフードしか与えない。そんなことあるものか。魚が好きだから狙っているのだろうと理論を展開するが妻は女性、理論的な考察はできない。

その日先ず刺身の皿がテーブルに置かれた。私と「たま」はそれを見ている。私は妻は相変わらず要領が悪いな。酒を先に付けて、その間に買ってきた刺身を皿に移して出せば時間が短縮されるのにとまた妻の時間観念の悪さに溜息が出る。

そんな溜息の傍で「たま」は刺身を狙っている。私はその刺身を一切れ、指で掴んで「たま」に与えた。もちろんテーブルの上ではなく、妻の目の届かないところでこっそりとやったのだ。

「たま」あっと言う間に鰹を一切れ食べてしまい、またテーブルに乗ってきて、次を狙っている。しかし自分たちの食べるものも確保しておかないとならないし、あまりやると妻に気づかれる。だから「たま」を手で追い払う。

よしこれで「たま」は私にも恩を受けた。これから私に対する態度にも変化が見られるはずだ。私の前に来てごろごろと喉を鳴らしてじゃれるのではないかと期待が膨らむ。

その日は下らない時代劇に飽きて少し仕事をしてから寝た。明日が楽しみだ。「たま」がどのように変化したか、私にどんな仕草をしてじゃれてくるか、そんなどうでも良いようなことを考えて眠りついた。

その晩の夢は自分が自転車に乗って諸所を回っているようなもので、意味が分からない。「たま」も出て来ない。5時ころ目が覚めて仕事のことを考えてから「たま」のいるリビングに入っていった。

ちょっと緊張する。「たま」が私の方に抱きついてきたらどうしよう。腹を見せて横たわったら、撫でてやろうか、それとも横に座ってやろうかと自分の行動を練った。

ドアを開けると文箱の上に「たま」がいる。いつもどおりだ。でも私の顔をちょっと見ていつも通りただ一度だけ「にゃあ」と鳴いた。大して反応がない。妻に見せるような仕草を期待していた私はがっかりとした。

どうも私は気が小さいらしい。あの鰹一切れ損をしたな。私のささやかな抵抗は妻にも「たま」にも何の効果もなかった。猫は人より御し難い。

酒巻 修平

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