ずぼらで拾った命

 50年も前の話しになるが、命に係わることで強烈な印象が今も残っている。

私はまだ24,5歳。会社からビルマ(現ミャンマー)へ出張を命じられた。チーク材の買い付けが使命だった。当時ビルマは完全な軍政(今もそうだが)、入国にはビサがいる。

 大体私がこの出張を命じられた理由が振るっている。当時会社にはエアコンがなく、二階の部屋で窓を開け放して事務を執るが夏はとても暑い。今ほどではないがエアコンがなければ仕事にはならない環境だった。

 暑いとどうしても眠くなる。昼食が済んで窓際のソファに寝ていた。そこへ副社長と称する禄でもない男がやってきた。私が直射日光の当たるところで寝ているのを見て暑いビルマでも仕事をこなせると思ったからだ。

 その男は社長の長男で今考えると仕事など何もできないのに威張るのが好きなのだ。だが課長の上司の部長の更に上司。命令は絶対だった。

 その会社は高級材の輸入会社で買った材木に金属のハンマーで刻印を打っていく。材木は炎天下に置いてあるので、何時間かのビルマでのその作業が大変で誰も行きたがらない。それで私が犠牲者という訳だ。

 でも命令では仕方がない。友達は全員大きな会社に勤めていて、私はどうしてこんな会社を選んだのか自分を恨んだが後の祭り。

 仕方なく出張の準備を始めた。まずビサの取得である。書類を整えて大使館かどこかに提出した。そうすると書類が不備という理由で送り返されてきた。

 何日か不備な書類の取得をさぼっていたが、予約してあった航空会社の便に乗り遅れるので慌ててぎりぎりに書類を提出した。しかしビサの発給の連絡がこない。電話はしても「順番にやっている」と大使館の人間もいい加減。

 やきもきしていると何日か後ビサが届いたので、航空会社に連絡する(当時は予約とその確認の二つが必要だった)ともう間に合わない。次の便にして欲しいと言われ、その旨を部長に報告した。便は一週間に一度だ。

 私の落ち度だ。部長にこっぴどく叱られたが仕方がない。一週間後の飛行機に乗ることにしたが、内心もう一日手続きを早くしていれば良かったと部長が叱るのは無理ないなと自分でも反省した。

 その日は叱られたのと自己嫌悪で近所の居酒屋でしこたま酒を飲んだ。翌朝起きたら、もう8時。遅刻だ。今日もまた叱られる。そう覚悟しながら会社にすっ飛んで行った。

 会社に着くと部長が飛んでやってきた。叱りもしない。どうしたのかと怪訝に思っていると、部長は新聞を見せ、記事を指さす。

 乗る予定の便はBOACと言い、今ではBAになっているBritish Overseas Airfreight Corporation だったと思うが、新聞の一面に大きく事故は報じられていた。富士山の乱気流に巻き込まれ、機体が真っ二つに割れ、その割れた機体と人が何人も機外に放り出されて空中をジャンプしている写真が載っていた。

 乗員、乗客全員250人以上が死亡。大変な事故だった。これは国内としては日航機ジャンボジェットがの墜落事故の次くらいに死亡者が多い航空機事故となっている。

 しかし私は何の感想もなかったし、飛行機の乗るのはもう嫌だとも思わなかった。部長に「へえ、運が悪い人たちですね」と言ったきり、仕事を始めた。部長はこの問題で色々面白く話しをしたかったらしいんだが、私が取り合わないからがっかりとしたような表情をしていた。

 この部長も仕事より遊びが好きで、当時毎月6,70万円の交際費を使っていた。私の給料はそのころ4万円くらい。これは今の金で24、5万か。だから部長は

月に300万くらい会社の金で飲み食いをしていたのだ。もちろん私もご相伴にあずかっていた。

 時は移って私も今は飛行機に乗るのが大嫌いだ。切っ掛けはあったんだが、九州へ行くにも新幹線で行く。その後も航空機事故が絶えない。飛行機は一番安全な乗り物を言われているが、そんなの嘘で毎回綿密な機体の点検をして、ベテランのパイロットが操縦するのだから無事故でも良い筈なのが、時々まだ事故がある。新幹線とは大違いだ。

 私は馬鹿な上司ばかりいるこの会社を辞め、違う貿易会社に就職した。そこの社長さんは悪い人ではなかったが、社長としての仕事ができない。資金繰りは全て私がやった。社員は49人いた日米合弁会社だったが、売上が低迷してアメリカの親会社から人数を7人に減じろと提案されてそれを受けた。

 私はその中に残ったが、もう他人の金儲けの手伝いをやるのは嫌になって、独立した。3年間は大赤字だったが、何とか持ちこたえて黒字になってから赤字はもう出さなかった。

 会社が大きくなったころ最初の会社の上司であった部長が訪ねてきて、言った。「ここで仕事をやってやっても良いよ」。それはどういうことだ。雇ってくれと言うんじゃないか。それならもう少し言い方があるのではないかと、近所の高級和食屋で一人6000円のランチとビールをご馳走して帰ってもらった。

 一番最初の会社とその次の会社も今はもうない。思い出したくもない。ただあの航空機事故の思い出はだんだん濃くなってきた。飛行機は怖い。

酒巻 修平

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