参議院ビューティコンテスト

 私の選挙区には何人かの候補者が今回の参議院議員候補者として立候補していた。その中で二名、男女一人ずつの候補者に私は関心を寄せた。

 一人は老齢に近いが知能も体力も充実したような人で、もう一人は美人の女性だった。最終的に二人は当選した。

 私は選挙には興味があるが関心はない。私の意見が採用されることもないし、選挙戦の環境の中で候補者が持論を展開するのも困難である。だから候補者がどのような意見を持ち、人柄はどうか、能力はどうかなど判定できない。

 関心を引く人たちの演説会に行き、候補者が述べていることを聞けば良いのだが、どうせ一票、そんな時間は無駄である。だから私は選挙人として失格である。

 候補者の政見も知らず、人柄の判定もできず、頭脳レベルも分からない。これでは私に誰かを投票しろと言っても無理だ。もちろん私の怠慢ではあるが。

 私は事業を経営しているので、経済のことはある程度分かる。アメリカには100回くらい出張に行ったので彼らの気風は分かるし、英語で彼らを笑わすこともできるし、交渉を有利に進める術もある。

その私が自分自身投票資格を持たないと感じているのだ。では投票した人たちは真剣な意味で投票能力を有しているのか。大いに疑問がある。

自分が投票した人物の人柄を知っているのか。どの程度の頭脳を持っているのか。経験はあるのか。多分大部分の人たちに関しては否定的な答えが返ってくるだろう。

東京都知事の小池氏は何度も人を裏切っている。だからその一点を頼りに私は都知事選で彼女に投票しなかった。だが投票した人が全体として小池氏より能力が高いかと問われればそうだと言える自信もない。

今回の選挙では女性では多くの美人候補が擁立された。もちろん例外もあるが、何故だろう。その人たちは政治家として全体的に能力を備えているのであろうか。

否定的である。選挙人、特に男性は美人に投票するだろうし、テレビを見ているとおばさんが可愛いから投票するなどと言っている。そこに日本のことを考えている精神は微塵もない。

その人たちに投票権があっても良いのだろうか。私も同様だ。おばさん、十代の若者、物を考えない人。そんな人が大半だから見栄えのする女性や時には男性も政党は候補者として擁立する。

今回は何人も地方局の元アナウンサーが立候補、いや、立候補さされていた。これが選挙だろうか。美女コンテストではないか。そして当選した多くの人物は数合わせが目的で政党に推薦されただけで、多分政治に関する能力はないだろう。

あるいは一つのことに関する意見も持ち得ないだろう。これからコンピューターの使用がもっと複雑化し、使用範囲が拡大するとどのような社会が現出するのか趣味レーションをやる能力があるのか。

銀行は斜陽産業になったのはこの5,6年である。何故か。では国の経済の根幹をなす銀行をどのように支え、どんな役割を担ってもらうのか、当選した人物には考えが及ぶのか。

恐ろしいことである。投票する能力のない人が政治をする能力をない人に投票する。本当に普通選挙法は現在、未来に取って最適な選挙法であるのか。あるいは戦前ように税金の支払い額によって投票数を決定する方が良くはないのか。どちらにも欠点があるようだが、それでは現行の普通選挙法について改良を考えることはしているのか。

政治家に不祥事が多い。それも低俗な不祥事ばかりで、人柄を疑うことしばしばだ。多分日本の意思決定は人くらいで執り行われているのではないか。

そうだとすれば後は数合わせ。定員はもっと少なくて済むだろうし、一人の候補者が政見を発表する時間も長く取れるだろう。

バブル以降日本の人たちの平均道徳、能力が大きく落ちている。国力とは国民の能力の総和とも言える。美人コンテストで日本国を良くしようとしてもそれは叶わないだろう。

酒巻 修平

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