日本においては太陽と地球の距離は冬の方が夏より近い。それでも夏の方が暑い。これは太陽の照射角度の違いからくる。

 そんなことを知っていて何になるか分からないが、いつの間にか覚えていた。子供のころはそんな下らないことを考えず、夏は夏休みがあるという意味でも楽しい季節だった。

 今ほど暑くはないし、顔を真っ黒に焼いて夢中で遊んだ。小学校には25mプールがあり、毎日ほど水遊びをやったものだ。大人は余り姿を見せなかった理由が分からない。こんな面白い遊びをどうしてやらないのか、疑問だった。

 近くの家の塀際に生えた「ヤブカラシ」には揚羽蝶や「コミスジ」などの蝶が来ていてせがんで買ってもらった子供用の捕虫網で取った。カナブンは飛び回り、蜂に刺されないように気を付けた。

 小学校の付近の川にも遊びに行ったが、そこで橋から落ちたことがあった。大人の人に助けてもらって、家で散々叱られた。

 隣の「悦ちゃん」はませた子で、何くれとなく、命令する。女の癖にと心の中では反発したけれどどうしても命令を聞いてしまう。

 その「悦ちゃん」が家の中で行水をして、開け放してあった玄関越しにこちらにお尻を見せていたが、別に興奮もしなかった。それほど幼かったのだろう。

 1年生の先生は「武藤甚太郎」という名前で、ある日「この頃いつも頭が痛い。原因は太ったからで、眼鏡の縁がこめかみの辺りを締め付けるからだと分かった」と言う。

 私は何故そんなことを言うのか理由が分からないまま、それから約70年経った。今でも覚えているのは何故だろうか。子供の好奇心や興味の対象は大人とは全く違う。

 夏休みの宿題で困るのは天気だ。毎日日記を付けているか宿題をしていないとこれは分からない。でも夏休み終了前1週間ほどで適当に書いて出したが、先生には何も言われなかった。

 夏休みが終わってから宿題をしてこともある。そのころはだんだん性格が悪くなっていたのだろう。宿題を先生が回収するのは夏休みが終わった時ではない。

 何日かして「明日宿題を持ってくるように」と言われると、学校から帰って慌てて宿題をやっつけた。宿題と発音すると今でも嫌な気持ちになる。子供のころの記憶は長く残る。

 「ぎんやんま」を捕まえたことがある。昼過ぎに捕まえて羽を持っていた。夕方になるとその「ぎんやんま」は元気がなくなった。それで裏の広場の叢にそっと置いてやったが、飛んで行かなかった。私は心配になって明くる日見に行ったらいなくなっていた。何だかほっとした。

 そんな純粋な気持ちはどこへ行ったのだろうか。今夏は私に取って暑いだけで、早く過ぎ去って欲しい季節だ。参議院議員選挙があって、馬鹿らしい候補が馬鹿らしい演説をしている。彼らに政治をする能力がないと分かっている。

 どうして分かっているのか。どうして人をそんな目で見るのか。子供に取って大人は尊敬すべき対象だった。それが今は馬鹿にして見ている。

 金儲けもしたし、家も買った。結婚をし、子供もできた。酒を飲み、あれが美味い、あそこのレストランは雰囲気が良いなどとほざく。どうしてそんな大人になってしまったのか。

 あの夏はどこに行ったのだろうか。自然は巡り、同じはずだが、自分に取っては同じではない。純粋な気持ちで夏という季節を楽しんだ子供時代。たまに親に連れて行ってもらった郊外。

 あの夏が恋しい。勉強は嫌だったが、学校は面白かった。クラス全員が友達だった。そのころは無口だったが、いつの間にか饒舌になってしまった。ああ、嫌だ、嫌だ。

 書斎から夏の空が見える。あの空は子供のころの空と同じだが、自分に取っては同じではない。返して欲しい、あの夏を。知識も要らない。知恵も欲しくない。あの純真さが戻って来て欲しい。

酒巻 修平

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