悩み
脳を働かせるためには多量の血液が必要である。物を考える時、何か一念発起して行動を起こす時、恋をしている時、などどんな時にでも脳に血液が行かなければ脳は働けない。
脳は考え脳自身をコントロールする以外にも各器官や筋肉、血液やリンパの循環など、脳自身を含めた体全体の作用を制御しているのだ。
そんな脳が一番血液を必要とするのは悩みやストレスなど正常の作用では解決できない問題を抱えている時だ。脳は解決できない問題をも解決しようと努力する。だから常時多量の血液が必要なのだ。
仕事をしている時、その仕事に積極的ではない場合がある。面白くない仕事をこなさなければならない。それにかなりな時間が掛る。そうするとその仕事をするため脳が作用をするには多量の血液が必要となるのだ。
逆にその仕事が楽しい。あるいは新しい経験だからその仕事には積極的に取り組める。そんな時脳が必要とする血液量は比較的、少量で済む。
脳の一部に多量の血液が必要な場合体を制御、コントロールするための血液は少量になる。大半がストレスやいやいやする仕事に血液が取られているからだ。
そうするとどうなるのだろうか。臓器や筋肉を動かすのに必要な血液が足りなくなる。そうすると臓器や筋肉は正常な動きができなくなる。結果病気になり、あるいは酷い場合は過労死に至る。
我々が若いころ、もう50年前になるが、日本は高度成長期でバブルではなく、実質経済は成長し、賃金もあっという間に上昇した。仕事が終わって家路に付くのはいつも終電車。もっと仕事をしたいが、もう電車がないから後ろ髪を引かれるように会社を後にした。
当時はストレスを抱える人もいないし、まして過労死など聞いたことがなかった。今と違って仕事に誇りを持っていたし、金のために仕事をしているという感覚もなかった。
もちろん給料をもらえなければ生活していけない。だがそれは二義的で、先ず仕事が先にあり、会社に貢献したい。あるいは自分自身の名誉のために仕事をするという観念で仕事をしていた。
でも疲れは寝ると治ったし、電車の中ではどんなに疲れていても優先席などには座らなかった。自分の名誉を重んじたのだ。
脳を如何に使うかは重要な生活の課題である。嫌がりながらの仕事は最悪の場合過労死に繋がるし、ストレスを溜めると体の弱い部分が動かなくなる。
因みに「5」という数字を万回書いてみよう。できる人は過労死をしない。仕事は単純で時間ばかり食う。それを嫌がると過労死が待っている。「5」を万回書くには10万回を目指してはいけない。これでは馬鹿らしくなって、途中で止めるだろう。
1個ずつ無心に書くのだ。そうすると必ず終りはやってくる。その時に感動はないし、ただ「ああ、終わったのだね」という小さい満足感だけが脳を支配する。
ストレスやその他の原因で亡くなる子供や人が多くなった。年々増加しているのか、それとも顕在化してきたのか、戦争を体験した世代には死ぬほどつらいとは思えない事例が多い。
明日の食料の手当てができない。夕飯がない。など日常茶飯事的にあった。それをどう乗り越えたか今は覚えてもいないが、これは事実だ。
悩みや問題点が一つの場合はまだ救いがあるが、それらが複数になるともういけない。私のところにしがみついてくる人がいる。聞いてみると複数の問題点を一緒くたに考えている。
問題点が違う種類のものであればそんなことをしても無駄だ。一つずつ解き解していかなければならない。先ず最重要な問題を取り上げそこに力を集中するのが良い。後の問題は一時忘れておくのだ。
脳は解決できると読めば大量の血液を要しない。通常の血液量で作用できるのだ。一つ問題が解決すれば後は自動的と言って良いくらい解決は簡単だ。
ストレスになってはいけない。まして自殺など以ての外だ。解決方法は必ずある。それには脳の正常な動きが必要なのだ。
酒巻 修平