人生振り返るとー長所、短所

 私も相当長く人生をやってきた。生まれたのはほんの偶然で、ラッキーなことだったが、その幸運を充分満喫できたか。振り返ってこれからの生活の指針とするのも悪くないだろう。

 人には長所と短所があるのは当然だ。中には神様の化身のような人もいるが、この人たちにも短所があるのは当然だ。キリストのように「右の頬を打たれれば左の頬を出せ」などと考えていたら、あまり良い目は見ないだろう。それは誰にも長所と短所があるからだ。

 学校にも行かない幼児のころ、学校生活、社会人になって会社に勤めたころ、会社を興し社員と共同作業を行ったこと。結婚もしたし、子供も設けた。食べる食料がないこともあったし、逆に無駄使いもした。

 夫婦で喧嘩もあったし、誰かと付き合いを止めたこともある。親しい友人もできた。酷い仕打ちも受けた。教えられたこともあったし、教えたこともあった。

 こんなことは誰でもそう変わらないだろう。もちろん学校にも行かない人もいるし、結婚もしないから子供はいない。それでも概ねやってきたことは誰もが同じだ。

 大きな成功をした人も自分は幸せと思っていない人が大勢いる。徳川家康は「人生とは思い荷物を持って山道を歩くようなものだ」と戦いに明け暮れたあまりの労苦を慨嘆した。豊臣秀吉も「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」という辞世の句を残している。   

 これらの言葉からは幸せという雰囲気を感じない。自分の実力のありったけを出し、大きな成功を収めたが『やった、良かった』と感じていない。

 二人の人物は良いことも悪いこともしただろう。悪いことをすれば自分で分かるし、良いことをすればそれも分かる。

 幸せという目に見える物体はない。それは脳がどのように反応したかだけで、その反応時間は短い。何故なら幸せという状態は脳がもうそれ以上働かなくても良い状態だからだ。だが不幸な状態では解決しなければならないことがあるということを脳が知っている。だが解決できない問題もある。

 こんなことを考えると人の一生は不幸が大半で幸せという状態である時間は限られているだろう。だから上の2武将があのような言葉を吐露したのだと思う。

 自分の長所を使ってやったことは幸せと結びつきやすい。自分自身としての評価としては満足の行く結果を生み出す。反対に短所を使った仕事は人も自分も不幸に陥れる。

 そんなことは分かっているのにどうして短所を使うことをしてしまうのか。長所を使うには努力と力が要るし、短所は簡単に出現する。それを制御するのが文化だとは思うが毎日の生活の場ではそんな意識を持ちにくい。

 体が健康でないと頭も正常ではないし、充分な力を発揮できない。だから幸せの最低限の条件は健康ということだろう。だが健康を損なった人にも幸せはやってくる。

 大きな力を発揮できないかも知れないが、自分の範囲内で、物事に誠意を以て対応すれば良い。だがそんな人も自分の長所を生かすことは簡単ではない。

 殺人を犯し、逮捕されず人生を全うした人の末後の感想はいかなものであろうか。ソ連のスターリンは悪の権化であったが、晩年は暗殺を怖れ小さな部屋に閉じ籠ったと言われる。数少ない側近とだけ話し、そして無為に死んでいった。

 ヒットラー、織田信長は殺人鬼だが他人に殺害された。彼らの人生は何だったのだろうか。生物とは自己複製する系だから子供を残すのが生きている大きい理由だが、人には脳がある。

 その脳に幸せを味あわせることができるのは自分の長所を使い、誠実に生きて行くことだろう。中世イタリアのメディチは巨万の富を手にしたが、死んでしまえばそれまでだ。

 生きている間が人であり、その間如何に幸せであるかは自分の長所を生かした行動によるだろう。それは束の間の充足感をもたらし、生きている幸せを噛みしめることができる。

酒巻 修平

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