政治家とは何だ

 政治家を語る前に国とは何であるかを考えたい。国というものは必要だろうか。多分必要だろう。山に挟まれたあるいは海を隔てた二つの地域は違う文化や生活があるに相違ない。

 それらは地域と名付けても良いが、その範囲が大きくなると国と称するのだろう。国には違った産物、生活様式、風習などが存在する。それをより良く利用するにはそれなりのルールも必要だ。

 ここに国が成り立ち、その国を運営するのが政治家と言える。だから政治家とは国の産物や生活の効率的な利用法や在り方を調整する役目と言える。しかし彼らはそのようにしているだろうか。

 飛鳥、奈良から江戸時代まで、貴族、武士が政権を担い、第二次世界大戦を経てやっと日本にも人のために働く政治家が生れた。それまでは本来の在りようと外れて自分たちの利益のために国や国民を利用したのが政治家であった。

 それは日本が民主主義国家になってから解消されたか。調べるとどうもそうではないようだ。政治家や官僚が行う仕事(仕事と言えない行為も含む)は国や国民のためだろうか。

 アメリカのトランプ大統領は再選を目指し、国の政策をあるべき姿から遠ざけていると報道されている。そうであるかどうかは詳細を知らない私には判断しかねるが、多分本当だろう。

 金正恩や習近平、文在寅は国や国民のための行為を行っているだろうか。金など若くて経験もなく、経済を知らない男が国民の生活を顧みず、原子爆弾の製造に邁進している。アメリカと対抗するためだろうが、アメリカは北朝鮮と比べると100倍も国力がある国。対抗できるはずもない。

 ということはこの男は計算もできない低能児かあるいは計算して自分の保身のためにだけ行動しているのだろう。文もそうだ。韓国では大統領を辞めた途端、何かの罪を着せられ罰せられたことは韓国の短い歴史から明らかだ。それを回避する方法を文は日夜考え、国や国民の生活を台無しにしている。

 周やプーチンも同様だ。これらの男は同胞を何人も殺害し、法律を守ろうとはしない。だが歴史上独裁国家が生き永らえたことはない。スターリン、ヒットラー、ポルポト、毛沢東、フセイン、アサド。まだ生き永らえている後継者もいるが、歴史を学ぶと彼らがいずれ姿を消すことは間違いない。

 すなわち歴史を作るのは大勢の国民の平均値なのだ。天皇制がまだ存在しているのは天皇制が国民に取って無害で、彼らは芸能人と同一に近い存在からなのだろう。人はアイドルを欲する。王室の人はアイドルなのだ。政治家ではないし、独裁者でもない。

 だが独裁者はその権力で経済を動かすことができる。だから彼らは芸術の庇護者としては有効な存在なのだろう。ピラミッド、スフィンクス、ダビンチの絵画、万里の長城、日本や欧州の城、アンデスの遺跡、イギリスのストーンヘンジ、アンコールワット、パールベック、アクロポリス、キリスト大寺院などなど、国民の生活や経済を鑑みないことで創建された。

 しかしこれらも全て時の大権力者のためのものであるし、彼らの没後、歴史を経て国民の手に委ねられた。

 中国人と話しをすることが多い。彼らは日本では一様に自国の政治家のことを軽蔑し、「あいつら」という言葉を使う。世界で民主主義国家が増え、その情報が入ってくるに従って政治家や国の実体が分かり、政治家を誹謗する。

 人民の力は強い。やがて政治家は完全に国民のためにのみ働く時代がくるだろう。それは歴史を観察すれば容易に分かる。ヨーロッパでは帝王は存在しなくなり、王室は国民により生かされている。日本でもそうだ。

 中国、北朝鮮もやがて民主国家になるだろう。そうでなければ国民は食べるものさえない状態に置かれる。もし周の共産党や金が存在しなくなれば国民はもっと豊かの国家が現出するだろう。

 日本の官僚や政治家が無謀を働くといずれ国民によって処断される。時間は少し掛かるかも知れないが、それが歴史というものだ。最大の存在である国民の利益を優先する方向に歴史は動いてきた。

 そしてコンピューターというツールの所為で、歴史の転換が早くなった。安定した状態は必要ではあるが、令和時代は悪い意味で変遷の時代であろう。その向こうに何か待っているかは政治家が動かせることではない。

 そうなると国民の道徳観念の大きさでその国の幸福度が決定する。若い人の道徳観念が低下するとその分だけ国の幸福度は貧弱になる。政治家は国民の言葉のない命令で動くことになるだろう。

酒巻 修平

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