意識、意思、意志、認識、各器官制御、脳とは何か

自分が存在している。自分はどのような人であるか。世の中での役割は何か。意識は哲学、心理学、社会学などの学問で様々に定義され解釈されそして分析されてきた。しかし物理的あるいは化学的観点でのアプローチはない。

下等生物から人のような高等生物に至るまで脳あるいは脳に変って脳と同様の作用を生物にもたらす器官は存在することに異議を挟む人はいないだろう。その生物の中でも脳が異常というほど発達したのが人である。

意識はどうも脳の何等かの現象だ。似たものに心という違う言い方もあるが、厳密な区別を試みるものは少ない。エマヌエル・カントがかつて「純粋理性批判」という書物でそれを試みたがそれも哲学的観点に留まっている。

それを科学的、物理的に説明することはできないのか。それには脳という器官の全体から始めなければならない。脳とは何か。それは今現在、未解明として残された科学的テーマだ。

脳は色々な役目、作用を果たす。病気は脳の間違った作用により発生するだろうし、本能を形にするのもどうも脳らしい。内臓、筋肉、情報処理もそうだ。

病気について医学は無力だ。病気の結果として発現する症状の消滅、軽減を図るのが医学で、病気が何であるか、どのように発現するのかを解き明かす努力すらしていない。

だが色々考察していると分かることもある。脳は生まれつき元からある意識(これをカントは*ア・プリオリ*と表現した)と後天的に取得した情報を処理する部門の共同作業をする。そして作用の種類により処理する部門が違う。

最近発見された脳の一部に海馬というものがある。これは情報の取得と保存を行う部門である。意識、意思、意志、認識、筋肉の制御、各内臓の動きの制御と調整、それらはおのおの別の部門に別れてなされるようだ。

脳は多部門に別れている。心臓を主とした循環器、呼吸を司る呼吸器、エネルギーの置換を行う消化器など作業の種類によってグループ別けがされているが、脳には作業の種類がどのグループより多いにも関わらずただ脳と言い、脳器とは言わない。何故だろうか。それは脳の機能、作用、作業機序などが解明されていないからだ。脳は脳器と呼ばれる一群の器官である。

脳は元々遺伝的先天的に持っている意識(ア・プリオリ)と後天的に取得した情報により作用している。ア・プリオリも先祖が取得し、それを伝えてきた情報の集積である。だから貴方の中には先祖がある意味まだ存在しているのだ。

家庭、学校、社会から学んだことは全て海馬に集積され保存される。それ以外に新聞、テレビ、友人、景色、他人の行動、春夏秋冬の移り変わり、音楽、絵画など目で見て、耳で聞き、味わい、触れ匂いを嗅ぎ、その結果が全て情報として保存される。

そのようにして取り入れた情報はまた違う脳の部分によりアウトプットされ、結合、分析される。その作用は各人が持つア・プリオリというベースにより方式が違うので、結合。分析された結果は人によって違う。それを個性という。

個性は何を情報として取り入れるか、それをどのように加工するかを決定付けるツールである。すなわち脳が脳として作用する方式はこの先祖から伝わったア・プリオリの存在が重要な役目を果たす。

脳は脳の作用を司る以外に生体の各器官や筋肉を動かす司令塔でもある。必要なホルモンを発生させ、器官を動かす触媒になる化学物質を活性化させる。

それら多様な作業を行う脳が指令を発するには電気信号を以て行い、瞬時に複雑で微妙な制御を達成している。だから間違った各器官の作用、すなわち病気は全て脳由来だ。脳は本来あるべき電気信号ではなく、何等かの理由で余計な要素が入ったり、欠落したり、まるでコンピューターにウイルスが入ったような状態になる。それが病気だ。

そう脳はコンピューター的に作用をこなしている。コンピューターは逆に脳の作用を自然発生的に模倣して発達してきた。コンピューターの作用機序を研究すればあるいは脳の作用の方式の解明に役立つとも思える。

そう言えば脳は一度に二つのことを考えられない。これもコンピューター的だ。電気あるいは磁気は物質内を進むのが一番早い。それに2進法的に制御することが可能であるから、便利だ。だから生物には電気の発生が不可欠だ。

カントの時代にはコンピューターはなかった。もし彼がコンピューターの知識を持っていたら、今ごろは脳の作用や方式が既に解明されていたかも知れない。どうも人の脳の質はだんだん低くなっているように思えてならない。もう天才は出ないのか。脳とは何なのだということに関する答えを誰か見つけて欲しい。

酒巻 修平

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