政治家はどこまで権限があるのか

 政治家は国民に選挙で選ばれた立法、政策立案を国民に成り代わって行う代表である。彼らは基本的にはそういう仕事をするプロであり、国家の機密の一部あるいは全部を知る立場にある。

 一方国民は素人であり、上記の仕事をプロに任せるというのは理に叶っている。特に外交などはそうで、このような複雑な仕事は素人にはできない。

 だが政治家は国民生活に直接、間接に影響を及ぼすことの全てを国民に断りもなしにやることはできない。政治家を律するには憲法がある。

 だが彼らを律するのは憲法だけであろうか。憲法は具体的なことを明示していない。包括的な精神を示すだけだ。

 たとえば司法が死刑の判決を下した人物を独断で放免することはできないだろうし、韓国のようにストをしても賃金をもらえるなどの法律は作ることも日本では不可能だろう。

 ではどこまでが国民の同意なしにできるのだろうか。これは法律が如何にあるべきかということと密接に関係していると思われる。法律とは正常な社会環境や要請を明文化したものだ。あるいは常識では設定が曖昧になる事項、数字に関することもその中に含まれる。

 江戸時代ではないので、例えば空き巣をして100万円を窃盗したとしてもその犯人を死刑にするのはやり過ぎだと思える。法律内容、施行と民主化とは相関関係にあるだろう。

 5月は10連休であった。これは国民の大多数が望んでいて、またそんな制度が実行可能だろうか。もちろん無理をすれば可能だろう。しかしこれは国民の要請に基づくのか。

 銀行や中小企業、その他困る会社や団体が存在するのは事実であるし、銀行は確か休みを取らなかったように記憶する。祭日も多すぎる。政治家は基本的には社会生活には素人だ。自身も社会生活を営んでいるだろうが、平均的な国民の収入や権利とはかけ離れている。中小企業を運営すればこの10連休が会社にどんな不利益を齎すか、実体験していない。

 政治家や国家公務員の給料を月額1000万円にするのも駄目だ。社会の状況との整合性がない。地下鉄に毎日一回は乗らなければならない。和菓子を毎月買わなければならない。家屋の修理を年に一回は国家指定の会社に依頼してやらなければならないというのも駄目だ。

 テレビを持っている家庭はNHKと必ず契約しなければならないとする法律は許されるものではないだろう。

 逆に圧力団体の要求を容れて国民に迷惑を掛けるような制度を改めないような不作為を改めない立法をしないのも許されるべきではないだろう。日曜日にはほぼ全医療機関が休む。

 しかし病気は日曜日にはならないなどということはない。だが日曜部には救急病院しか医療行為をしない。そしてその緊急病院では例えば内科医はいなくて当番性で整形外科医しかいないなどということは多いにありえる。

 政治家も時間に限りがある。だから全ての必要な法律をすぐに作ることはできない。それは分かるがこの医療機関に対する無作為はどうしたことだろう。もう亡くなった武見という剛腕な人物がいて、彼が政府などに圧力をかけて日曜休診などの制度を政府に認めさせてしまった。

 ある政治家が税というのは恣意的に設定できるという旨の発言をしたのを聞いたことがある。だがそうだろうか。ガソリンを買うとまず高い金額比率のガソリン税を支払わなくてはならない。その上に消費税が掛かる。

 こんな税の上に税を課すことなど社会生活上どうしても正当とは思えない。だが税は恣意的だと言う。全ての政治家が同じ意見を持っているとは思えないが、一旦選挙で選ばれると相当無制限に近い権限が付与されると考えている不埒な政治家も存在することは明らかだ。

 私は自由選挙法には重大な欠陥があると思う。候補者がイケメンだとするとそれを理由に投票する脳が薄いおばさん。間違った考えを投票に持ち込む人。無知、社会に出ていない単なる学生。そんな人も投票権を一票を持っている。

 能力があり、高い人格を有する人を選ぶには今の自由選挙法では無理だ。女性を過度に前面に押し出し、だから当選するのは美人ばかり。この国の本当の意味の民主化はまだ先なのだろう。

酒巻 修平

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