何故共産主義は独裁主義に変るのか

 共産主義というのは大多数の国民が貧困であるから出て来た思想である。そこでは財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざしている。

 だがこれは人が生まれつき持っている人の欲望を無視した理論である。有能な人物はより多く持ちたがりその努力を惜しまない。共産主義が主張する「能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」は人間の本能と相反する理念である。

 共産主義は一つの理論であり、だから理論構成上、多くの違った考えがある。いわば理論家の数と同一数の考えがあり、一つの完成した完璧な理論など存在しない。

 共産主義国のリーダーはしかし共同所有する社会の富を目の前にして、共産主義理論による実際とは相反する行動を取り易い。そしてそれを実行した

 現に共産主義を掲げその理論を具現化した能力のあるレーニンやスターリンは必要に応じて与えられたのではなく、強大な権力と物質を独占した。

 共産主義国では人は適宜働き、それが故に人民は相変わらず、貧困のままである。

人には他の動物には見られない同種類の他の動物を殺戮するという本能も備わっている。

 これが故に能力を持ち、権力を握った人物はライバルを陥れ、殺害する行動に出るのだ。だが民主国家では選挙があり、本能に基づく戦争は選挙により防止される。

 また能力が低く、貧困である人は生活ができればそれ以上を望む精神が少ない。だからより裕福な生活を目指し労働効率を上げて収入を上げるということが共産主義下では望まれない。

 経済力を含む国家の力は国民の数x平均的能力と言える。権力者は人民のために働かないし、低い地位にある人は頑張って必死に労働をするということがないので、平均的能力が低いままだ。

 だから共産主義国では能力の低い人の生活では食べることさえままならない状態が続く。権力者が経済を独占して能力の低い人に回る物は権力者が取った残りだけだ。

 共産主義国の国力は人口を考慮に入れると低い。だが権力者はより多くを求め、戦争に走る。ここでは自国の国力は無視される。

 こうして共産主義国の権力者は選挙という手段に阻まれることなく、より大きい権力を求めてさまようのだ。

 理論は実践があって正当だと評価される。マルクスはこのことを知っていたのかどうか知れないけれど、共産主義は一般の人の不幸の元に成り立つのだ。

 共産主義理論は一般国民を豊かにする意味では間違っている。それ故、種々雑多な理論が派生したが、最高権力者はそれを許さない。自分に隷従し、自分の主義主張を認めるものだけが、生き残れる。

 スターリンは最高で自国民を4千万人殺害したと言われる。だが自国は貧しいままだ。戦争をするため軍備を増強し過ぎて、経済的に破綻し、とうとうソ連邦は解体せざるを得なくなった。

 次が中国だ。共産主義という理論の元で選挙も行われず、権力者は権力者のままで勝てる見込みのない戦争に突入した。しかし今度は経済戦争という形を変えた戦争になっている。

 共産主義では富は求めに応じて与えられるので、権力者は大半の富を与えられた。それでも足りず他国の富も狙って熱い戦争の準備にいそしんでいる。

 因みに日本の自由民主党の党首になるには選挙がある。これはある意味公平だ。だが日本共産党には選挙がない。志位和夫はどのようにして選ばれたかその過程は謎だ。

 志位は出張の時必ずファーストクラスで行き、贅沢な生活をしている。騙された一般党員はせっせと募金をし、幹部の贅沢に貢献しているのだ。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次の記事

二人の社員