少年犯罪

 少年とは20歳未満の心身ともに成長過渡期にある人であると定義できそうだ。その間は考えも未熟で多くの少年はいまだ労働していない人も多いだろう。

 だがそれにも関わらず刑法犯罪も実行する。犯罪は社会通念に照らすと悪を犯すことで少年は善悪の判断力はあるがまだ克己心が養われていないという側面があるだろう。少年のほとんどがまだ社会で役割を果たしていない。すなわち社会人予備群だ。

 少年であるに関わらず凶悪犯罪も少なくなく、社会の耳目を集める。時々テレビでも少年が重大犯罪を引き起こし、大きな社会問題になる。そのような状態でも名前は公表されることはなく、これは一人前の人として扱われていない証拠でもある。

 少年の犯罪は人に向かうことより物に向かう傾向があるのは、一般人が大人で少年の精神のどこかに劣等感があるからだろう。大人は少年に威圧感を与える。それをまともに受けては少年の犯罪は大人には向かわない。

 男女同権の現在にあっても女性に対する犯罪は少なくならない。これは体力関係から来るのであろう。少年が大人に犯罪行為をすることが少ないのはこれと同じ理由かも知れない。

 少年の犯行は少年が未熟であるが故に発生することが多い。自己の欲望に勝てず、他人の痛みを考慮することなく、犯行をする。

 だがそこにも欲望とそれに対する抑制力の関係が存在している。最近性犯罪が少なくなったのは性欲が小さくなったからではないだろうか。

 犯罪はもちろん社会に対する悪だが、欲望がなければ犯罪も起きない。性欲を満たしたくて欲望を抑えられない少年は性犯罪に向かう。少年の性欲は最近低下しているのではないか。

 少年犯罪は全体的に少なくなっている。それ自体は良いことが、別の角度で見ると少年には欲望が少なくなったとも言えないだろうか。

 それに物の価値感の低下がある。例えば自転車の窃盗事件は少年に多発する犯罪であるが、放置自転車が氾濫する現在、自転車には財産としての価値が低くなっていることも少年がこの犯罪を実行してしまう背景にあるのではないか。

 ある弁護士が言った。弁護士に依頼することがほとんどない会社は、積極的、真剣に業務の遂行をしていないからだ。依頼が多すぎる会社は注意力が散漫だからだ。

 これと犯罪とは同列に語れないかも知れないが、犯罪が少ないのは欲望が少ないからだとも言える。日本の経済が全般的には豊かになり、欲望がある程度待たされている。犯罪を実行する意味が低下しているのだ。

 少年は自分で自分の欲望を満たすことが難しい。それでも犯罪が少ないのは欲望が両親やその他の人に満たされているからに他ならない。

 怨恨による犯罪は少年にはないだろう。人に殺したいほどの恨みを持てない。少年には交際したい異性が回りには沢山いて、彼女や彼氏が他の異性に取られたなどはすぐに代替の異性で満たされてしまう。

 虐めを受けたとしても少年はそれを恨み、相手を殺害するまでに至らない。少年はまだ与えられる存在だ。愛もそうで、それがないと大人になると大きい犯罪に手を染めることになりかねない。

 その未熟で他人から与えられる少年に何故選挙権があるのだろうか。政治家の自己満足の意見が通り、彼らにも選挙権が与えられた。他人に何かを与えることができない少年がどうしてそんな権利を持てるのか不思議だ。

 権利と義務は裏表の関係にあるのは当然だ。それが義務をほとんど持たない少年が選挙権という大きな権利を手にする。それなら日本に住む外人にも選挙権を当てえるべきだと考えるが、そうはなっていない。

 私自身外国人に選挙権は与えるべきではないと思うし、少年にもそうだ。犯行を実行してもA少年と言い、名前は伏せられたままだ。

 政治家や警察のやっていることには整合性のないことが多い。もし少年に選挙権を与えるなら、犯罪を実行した少年の名前も公表すべきだ。

 もしそれが彼らの将来に大きな痛手になるというなら、少年には選挙権は要らない。

酒巻 修平

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