菫は何故道路の隙間にも生えているか

 これからはそんな草も枯れる時期だというのに、こんなことを書くなんておかしいが、ふと菫の花が咲いている頃を思いついた。

 時々行く喫茶店の前の歩道に割れ目があり、そこに大きな菫の株が生えていて、時期になると濃い紫の綺麗な花が咲く。

 喫茶店は道路側に椅子、テーブルが置いてあって、まだ寒いころから室内はぽかぽかと暖かい。

 コーヒーは焙煎して淹れてくれる。サイドにはクッキーが添えてあって、時々それも摘まむ。

 女性の店員さんはコーヒーを用意したり、豆も売る。テーブルは2つ3つしかなくて、そこは主にコーヒー豆を売る店だ。

 東京の新橋で大昔に開業して同業者は大きな企業に成長したが、そこはいまだ小規模な経営である。

 店主の人は優しくてこちらの話しに丁寧に付き合ってくれるので、好きだ。豆を買いに来るお客さんは近所の会社に勤める人で、仕事の合間を縫って100gの豆を求めてそそくさと去っていく。

 私がその喫茶店の前の歩道の割れ目に生えている菫を見つけたのは何時だったか、造園に興味を持っていたころだからもう4,5年になるだろうか。

 割れ目割れ目に菫は大きな株を付けている。庭にも菫は生えているが、株はそんなに大きくならない。

 土もなく水分の少ないのに喫茶店前の菫はどうしてあんな大きい株を成長させるのか、不思議に思って考えた。

 理由が分からない。そうこうしているうちに玄関の前の石段の割れ目から斑入りのつわぶきが芽を出した。

 それがだんだん大きくなって今ではもう6,7株生えている。家に帰ってくるとそのつわぶきが迎えてくれるようで親しみが湧く。

 私は中学校のころから昆虫採集をしていて、一時はその道で食べていこうと真剣に考えたことがある。

 でも現実的ではないし、結局は普通のサラリーマンとして職を出発したのだが、社会に出た後も昆虫採集は続けた。

 採集は当然山に行く。里にも昔は沢山の種類の昆虫がいたと想像するが、住宅が林を消滅させていき、町は昆虫の棲み家を奪った。

 山は住宅には相応しくないので、いまだに残されている。でもここにも近代化の波が押し寄せ、車で登山口まで行ける。

 道路が舗装されたからだが、前は鉄道の駅から登山道まで退屈な道を歩いたものだ。だから昆虫採集は体力が要る。

 一度行くと多分20㎞は歩くだろう。帰りはくたくたになって帰宅すると食事を腹一杯食べた。懐かしい思い出だ。

 何故山の話しをしたかと言うと、山草が生えている土には石がごろごろと含まれているのを思いだしたからだ。

 どんな山草の根元にも石がある。だから私はこう思った。草は生育して増殖するには固く昼夜の温度の変化が大きい環境を好む。

そう言えば街中の菫も堅いコンクリートの隙間に生えて大きくなっている。それが分かったので、庭に生えている山草の根本に石を置いてやった。

そうすると山草は元気になり、だんだん株が大きくなった。これはちょっとした植物の育て方のこつだ。

石はどこにでも落ちていて拾っていっても誰も文句を言わない。良い繁殖法を見つけたと思い、喜んでいる。

一鉢500万円くらいする春蘭がある。そんなものを買う人もいるから商品として成り立っているのだろうが、枯らしたらどうするのだろうか。そんな春蘭の根本には石を配置したらどうだろうか。

普通の春蘭は今でも東京や埼玉の郊外の林にはいくらも生えている。早春に珍しい緑色の花を付ける可憐で美しい花だ。

酒巻 修平

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