悪とは何か

 悪を語る前に悪を象徴する人物を見てみよう。日本では織田信長か、歴史上世界を見回すと最近でもヒットラー、スターリン、トルーマン(原爆を落とす命令を下した)など枚挙に暇がない。

 最大の悪とは殺人であろう。人の生きる権利を奪うなど人がやるべきことではない。他の動物は食料確保のためだけに他種類の動物を殺すだけで、例外を除いて同種類の動物は殺さない。

 悪は一種の快楽だ。自分の欲求の赴くまま行動すると悪になり易い。一方善は自分の精神を抑制して他の人に喜びを与える。

 だが悪が人の欲望の充足であるとすれば、大であれ小であれ悪を犯したことのない人はいないだろう。

 小さな嘘は誰でも付く。ただ相手のことを慮って付く嘘は悪でない場合がある。昔医師は癌を患った癌患者には癌だと言わなかった。癌が不治の病だったからだ。

 悪の本質を分析するのに善を考えてみるのが良い。善の行動は法律、道徳、宗教で律しられているものだ。

 その中の最高度の善はもちろん宗教観で、ここでは悪をなすことを考えるだけで悪と見なされる。

 それほど悪は人の心の奥底に存在していて出て来る機会を待っているのだ。宗教では姦淫は悪とされるが、道徳や法律では悪でない時代もあった。

 戦争においては殺人が善とされ奨励される。考えると戦争は現在の規範では全て悪である。

 残念なことには法律の規定そのものが悪である場合も多い。交通違反に関する規定や二重課税などは明らかに悪である。

 そうなのに国の都合で悪としていることも多い。売上税を消費税と称させるのも一種の嘘でこれも悪だ。そうすると高級役人や政治家は悪の権化のように思われる。

 すなわち悪は欲望の実行によって生じることが多いのに反して、善は時代の要請によるらしい。

 しかし時代は役人や政治家が作るのではない。切っ掛けがどうであっても一般の大衆が望む状態に向かって世の中は進み、それに呼応するように暴力的に有利な人間が政府を一新することもある。

 権利を過度に捉え、実行に移そうとすると悪が芽生え、義務の遂行は善に通じる。ただ悪を規定した法律に従うことは悪ではないが、悪として作用する。

 悪を犯すのに抵抗がないか、少ない人が機会をとらえて悪をなす。本当の善をなすことはとても難しいことなのだ。

 不親切、不作為、秘密裡の悪など人は知らず知らずに悪をなしているものだ。人を律する規範は上記の通り、下から法律、道徳、宗教などがあるが、法律を犯していないからと言って悪を成していないとは言えない。

 法律は人の社会の最低限の規範で、これを守るのは容易い。でもそれでは善とは言えない。さしずめ一般人は道徳辺りを行動の規範とすれば大きな抵抗感がなく、善がなせるだろう。

 それでもそういう観点で社会を見渡すと現在では善は見つけにくい。社会が豊かになるに従って悪とまではいかないが不善は至るところに見ることができる。

 人は幸か不幸か頭脳が極端に発達した。これが悪の元だ。他の動物が悪をなしているのを見たことがないので、人が悪を犯すのは異常に発達した脳が原因になっているのだろう。

 だとするとより優れた脳を持つ人間が悪をなす度合が大きい。新聞、テレビを賑わす大きな悪は全て優秀な脳を持った人間だ。

 だが一方優秀な脳は大きな善をなす可能性も秘めている。日本が比較的外国人に好意的に受け止められるには先人の大きな善によるものである。

 悪は自分に取っての快楽だが、その悪の影響を受ける人に取っては大きな苦痛である。

酒巻 修平

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