我々は政治家に全てを任せているのか

 政治家は選挙によって我々から選ばれて政治を行う。その観点では公平で政治家の行うことに不満はないはずだ。

 だが個々の人が誰を選ぶか、それはどんなところを見て投票するかについてはまことに心もとない。選ぶに値する被選挙人がいない場合もあるし、直観で良いと思っても実際、その人の能力や性格を知っているわけでもない。

 演説会に行って政策を聞く手もあるが、本当に自分の信念や考えを話しているかどうかは疑問である。選挙民に迎合するようなことを抽出して話している可能性の方が大きい。

 面と向かって質問を投げかける機会はそうはない。そうすると原稿を読むだけの演説会はどの程度我々の知りたいことを話しているか、どうも怪しい。

 それに有権者全てが真摯な気持ちで投票しているとは限らない。美人だとかイケメンであるとか、たまたまテレビでの露出が多かったとか、何かの理由で有名な人というだけで投票する有権者が多いだろう。

 安倍晋三という首相は頑張って仕事をし、それなりの成果を上げている。そういう意味では評価をするが、閣僚などを選ぶ能力があるかどうかは分からない。

 政権運営の都合上、当選回数が多くなると大臣に任命することが多いようだ。もちろん経験を積んだという事実はその人の能力を向上させるので、そんな人を大臣に任命するのは一概に不当とは言い難い。だがこの人が大臣でこの国の政治運営を任せても良いのかという人も多いのも事実だ。

 そこで考える。議員にどこまで国の運営を任せられるのかということだ。彼らの策定した政策に沿って我々は生活していかなくてはならない。

 安倍首相に大臣の人事を任せたつもりはない(少なくても私は)。あるいは何でもかんでも反対する野党の代議士も選んでいない人も多いだろう。

 最近会社員の休みが多い。特別な金曜日もあるし、祝日もだんだん多くなる。これはできるだけ休みを取って家族と一緒の過ごさせてあげようとの親心かも知れないが、社員に休まれる会社は溜まったものではない。特に中小、零細企業では死活問題だ。

 社員はそれにより恩恵を受けていると勘違いしているかも知れないが、会社の経営者は頭が良い。そんなことによる会社への悪影響を阻止するために雇用する人を正社員にしない。

 時間給、日給にすると同じ時間働かせて会社は払う賃金を同一化できる。さらに年金など社会保険に加入しなくても良いように月当りの労働日数を調整する。

 こうして雇われた人は愛社精神など持たない。だから仕事の効率が悪くなる。収入が少ないから子供に構ってやる時間の余裕もなくなり、殺獏とした社会が現出する。

 故意に病気を作る医者が大勢いる。そんな人への罰則はない。私も二回肺炎にされたことがある。熱もないし、体がだるくもない。ただ風邪のようなだけなのに、CTSCANやMRI検査をさせられ料金を取られた。

 故意に大きな損害を与えた医師や病気を捏造する医師の免許は取り消すべきだと思うのだが、医師免許を取り消される事例はあまり聞かない。

 米を輸出するのに割り当て制度がある。などなど政府の担当部署の都合だけで政策が実行されるのはどうしたものだろうか。

 今度任命された小泉進次郎という環境大臣は能力がなさそうだ。彼がどうして大臣に任命されたのか、理由が納得できない。選挙民の関心を買う目的しかないと思うのだが。

 政策の違いなど無視して連合する野党。ただ自民党の勢力を削ぐためだけの理由だとしか思えない。

 どうも我々は政治家に国政の全てを任したつもりはないと分析できる。するとどこまで任せたのだろうか。少なくても政局を考えての幹部政治家の行動は許していないように思える。

 防衛大臣が女性。コンピューターを打てないIT相。なんてことだろう。女性の大臣をできるだけ多く登用するという政策にも反対だ。能力があり、誠実なら全ての大臣が女性でも良い。何故一定以上の女性を大臣に登用しなければならないのか。これも政局を考えてのことだろう。

 政治家とはどういう性格を持った人がなるのだろうか。たいした能力もないが、当選する人もいる。結局有権者がもっと賢くならなければ国は豊かにならないのか。

酒巻 修平

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