教科書とメディア

 韓国の教科書は日本のことについてあることないことを悪しざまに書いてある。韓国が今の経済状態にあるのは日本が韓国に国家予算の3年分にも当たる賠償金類似の金額を与えたからだが、こんなことは多分書いていないだろう。

 子供は頭が柔らかい。何でも言いなりに吸収するところがあり、それが子供の良い所だが、反面無批判に言われたことを吸収してしまう。子供が良い子に育つかどうかは両親がどのように子供に接したかで決まる。

 そんな子供に対して日本が悪魔の国だなど教科書に書くと子供はそれを信じ、日本を悪い目で見ることは当たり前だ。他国の政策を批判をしてはならないだろうが、これでは親切にしようがないし、反動的に嫌韓になるのは目に見えている。

 だが韓国は隣国で政治、軍事、経済交流は盛んだ。互いに両国が依存し合っている。そのような状態で一方の国が他方の国が悪いということを教科書に書けばどうなるのか、韓国の政治家はどう考えているのだろうか。

 日本は上記経済発展を遂げる切っ掛けになった巨額の資金供与の後も韓国が経済危機に落ちった時に何度も助けている。そんな時に日本の政治家はどうして教科書問題を持ち出さなかったのか、何とも抜けた話だ。

 人の悪口を年中言っているような国家や人が他人から敬われることはない。教科書に他国の悪口を描くような国では一般人民も他人の悪口を叩いて暮らしているに相違ない。

 教科書に他国の悪口を書くのは自国民の性格を悪くさせているということを韓国の政治家は気が付かないのだろうか。まことに不思議な現象である。

 韓国は地政学上ある意味ラッキーだった。隣に独裁政治を行う3つの国があり、全て独善的で思想的に政府に反対している人を何百、何千万人も殺害している。だが国際社会はそんなことを許していない。

 戦争は避けなければならないので、戦争にはならないが、3国とは緊密に芯から友好的にはなるのは難しい。ちょっとしたことで軍事衝突が起こるか分からない情勢である。だから韓国がそんな国の一つになってもらいたくないから、日本の対韓国政策は生ぬるかった。

 韓国はしっかりとした国家運営をしてこなかったし、発展途上国が経済的に発展してくるとビジネスを失うことが多い。子供に他国の悪口を教える教科書を作る国の人が誠実に真剣に物事に接する訳がないから、生産する物品の質は決して高くない。

 片や日本を見てみよう。子供期を過ぎてもテレビや新聞は人の考えに大きな影響を及ぼす。だがそのマスメディアは左翼に経営されているケースが多く、それを視聴する人はどうしても影響される。国家に軍隊のない国などあるのだろうか。全てマスコミの影響だ。

 子供を教育する教科書ほどではないが、嘘や中途半端な報道しかしないメディアは日本国内に間違って観念を植え付けることが多い。ひと昔前までは日本人も韓国の慰安婦問題が本当にあったことだと信じていた。

 これは朝日新聞の考えから出たことだ。どうしてありもしないことを取材もせずに書くのか。1960年代に学生運動で左掛かった学生は就職先が限定されていた。小企業は別として大企業でそんな学生を社員として受け入れたのはメディアだけだった。

 これも大きく考えればそのような未熟な若者の一時的な過激運動を重大なことと考えて採用しなかった企業やそんな風潮を阻止しなかった政府の失策である。もしそんなことをせず広く若者を採用していたら、日本の左翼思想の悪いところを出す人は極めて少なかったと思われる。

 私の知人で80歳を越えた人がいるが、その人も日本の政治をまだ貶す。中国や韓国、北朝鮮の政治より日本の政治の方が100倍も良いのに、どうしてそうなるのか。若い頃一時左翼であった人に就職の門戸を閉ざしたつけがまだ存在するのだ。

 朝日新聞は故意的な誤報が多いし、それに対して反省はもちろんない。だが誤報を誤報として非難する人が増え、購買部数が減少した今、韓国よりの報道は少なくなった。そうでなければ生き残れないからだ。

 教科書教育、マスメディアの報道。どちらも人に大きな影響を与える。日本のマスメディはテレビ、新聞、雑誌が全て同じ系列で、だから基本的な論調が同一である。アメリカではこんなことは禁じられているが、日本の政治家は将来長く、禍根を残すような政策あるいは無政策を続けてきた。

 韓国の教科書の内容の検閲も、日本のマスメディアの株主構成のいびつさも政治家が起こしたことだ。政治家とは一体どのような能力と性格を持つ人たちなのだろうか。

 今ではネット通信が発達してきたから、韓国人も日本人も幅広く情報を収集することができるようになった。だから教科書を通じて反日を習った韓国人も朝日新聞の報道を信じた読者も独自の考えを持つようになった。その傾向は今後ますます拡大していくだろう。

 テレビ、新聞は衰退の一歩を辿っている。真実でないことの報道には自由がない。報道の自由はあくまで真実を報道することに対して与えられるものだ。自由が権利とすれば同時に真実を報道しなければならないという義務が発生するのは当然だ。

 韓国が日本誹謗の教科書の編纂を止めない限り、両国は永遠に仲良くなれない。だが韓国にも目にある人が大勢いる。そんな人が政治家になってもらいたいと思うが、清濁併せのむのが日本、韓国の政治家の世界であるとすれば誠実な人が政治家になることはないのだろうか。

酒巻 修平

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