フランスでの盗難被害

 その時私はフランスとイタリアに仕事があり、海外旅行をしたことがない、飛行機も乗ったことがないという妻をフランスに連れていった。

 初めて飛行機に乗る妻は飛行機が走り出すと窓から身を乗り出すように外の景色を眺めている。そして離陸。妻は「飛んだ、飛んだ」と大きい声で無邪気に叫んでいる。

 回りの乗客は苦笑したり、少し馬鹿にしたりこちらを見る。私は照れ臭かったけれど、妻がそんなに感動する姿を感動して見ていた。妻はこちらに話しかけ「見て、見て、もうあんなに陸地が遠くなった。高い高い」と言葉だけを聞いていると子供のようである。

 中国人の友人がある時「中国の女は簡単だ。金さえやれば満足しているが、日本の女はそれだけでは駄目だ。金をやり遊んでやらなければ怒る」という言葉を思い出して、その言葉が的を得ていると思った。

 最近その妻を横浜の遊園地に連れて行って簡単なジェットコースターやその他恐怖心をあまり煽らない乗り物に載せてやった。妻は有頂天で、その後も夕食をレストランで食べると私を尊敬したような目で見た。中国人の言ったことを再確認したはこの時だ。

 さてそうして飛行機は長い時間掛けてパリに付いた。飛行場には取引相手の人(何度も取引をしていて友人のようになっていた)が迎えに来ていて、車でパリの街かどにあるプチホテルに連れて行ってくれた。

 ホテルは「ロン ポアン デゥ ロンシャン」と言ってロンシャン街の真っ角(ポアン)の(デゥ)丸い(ロン)にある本当に小さいホテルだった。パリに友人がいなければ探しようもないホテルで部屋には少し大きめのベッドが一つ置いてあるだけの安ホテルだ。でも不思議に落ち着く。

 その日は友人がステーキをご馳走してくれた。二日目は言わずと知れたルーブル博物館。そこへも友人が連れて行ってくれた。親切だった。

 ミロのビーナスを見て、サマトラケのニケ(いまだに意味が分からない)、ロゼッタストーン、その他色々見ると3時間以上経過していた。帰りはタクシーを簡単に拾えるからホテルの名前を書いた紙を運転手に渡せと友人は助言していてくれていた。

 確かにタクシーはいくらでも走っている。少しぶらぶら歩こうかと提案すると道が不案内(私もそうだ)の妻は一も二もなく私の意見に賛成した。だが建物ばかりであまり面白くない。

 そこでもうホテルに戻ろうとしたがタクシーがどうも捕まらない。困っているとその光景を見たのだろう、フランス人らしい人が近づいてきて、親切にタクシーを止めてくれて、私が持っている紙を読んで運転手に言ってくれた。

 料金は覚えていないくらいだから日本のタクシー料金と比較してじくらいだったのではないだろうか。ホテルの名前は変わっていて意味くらいは解るからそれからはタクシーに乗ると口頭で行先を伝えると結構通じた。

 私は若いころ3か月ほどフランス語を習いに日仏学園に通ったので、発音くらいはできる。もちろん何度言っても通じない言葉もあったが、大した支障にはならなかった。

 パリは世界でも有数の観光地でビジネスタウンだから、そのころは安全な街だった。我々は地下鉄にも乗り、色々なところを見て回った。ホテルの人にも教えてもらって美味しいレストランを教えて貰ったりもした。レストランはどこも安かった。味は日本の方が良い。

 美味しいレストランをフランス語で言うと多分「un bon restaurant」というだろうと見当は付けたが「どこにある」というのが言えない。少し考えて英語でいうと簡単に通じてしまった。フランス人は分かっていても英語を使わないというのは観光客には適用されないらしいとこの時知った。

 滞在期間は1週間。それからは行きたいところには行くし、仕事の合間を縫っては女房孝行を随分した。ある時地下鉄に乗った。コンコースではアコーディオンを弾く人もいたし、バイオリンを奏でる人もいる。小銭がある時は時々それを帽子の中に入れたりもして観光を楽しんだ。

 そんな日のある時、地下鉄のベンチに座ってバッグを横に置いていた妻があっという間にバッグを持って行かれた。本当にあっという間の早業であっけに取られる隙もないほどだ。

 茫然としている妻の前を数人の男性が掛けていく。我々はどうしようかと途方に暮れているとしばらくして、掛けて行った男性が妻のバッグを取り返して逃げた男のジャンパーも一緒に持って帰ってきた。そうして妻のバッグは戻って来た。

 この時ほど嬉しかったことはない。たどたどしい英語で説明するには盗んだ男はフランス人ではない。他の国から不法入国したアルメニア人とか言っていた。

その人たちはフランスの名誉を守りたかったのだろう。それで我々はその人たちの名前や住所を聞き、帰国したら日本の何かを送ろうと相談した。

 私はまだイタリアで仕事がある。妻をこれ以上伴う予算がないので、例のフランス人の友達に空港まで妻を送ってもらって、妻は帰国した。恩人たちの名前は私が持っている。

 それからイタリアに行き、バッグのメーカーから大量の商品を仕入れた。私は立派な鞄などを持って歩かない主義で確かその時も紙袋をビニールで包んだ貧乏たらしい恰好をしていたと思う。

 バッグのメーカーの社長さんは私の姿を見て、大きな仕事のお礼にと極めて立派なバッグをくれた。私はそんな大層なバッグを持って歩くのは嫌だったが、折角の好意有難く頂いた。

 次の日紙袋に入れておいた持ち物を全てバッグに入れ替えて駅へ向かった。バッグ以外にもスーツケースがあるので、移動するのに面倒だったが仕方がない。

 切符を買うためにスーツケースとバッグを横の床に置いてフラン札を出そうとしていると突如男がその立派なバッグを取って逃げた。私は脚に自信がない。追いかけても捕まえることもできないし、それにそんなことをすると危険だ。茫然とその男が走って行く後ろ姿を見送るだけだった。

 そのバッグにはフランスの恩人たちの情報が入っている。もうお礼をすることもできなくなった。フランスの友人に何とかその人たちのことを知る方法はないだろうかと相談したが、方法はないとのこと。人生のうちで残念な一つだ。我々は口だけの人間だと思われただろう。日本人の名を汚した。

 妻のバッグを盗んだ男も私のバッグを盗んだ男もフランス人やイタリア人ではない。全て他国から入国して男たちだ。今ドイツなどが移民を受けているが、治安や文化の程度が低下したのではないかと心配である。

酒巻 修平

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