病気診断システム

 中には病院などには掛からないという主義の人がいるけれど、普通は体の不調で医師の診断を受ける。私も例外ではなく、持病もあるし、風邪もひく。だから病院に行く機会は少なくない。

 大分前に風邪をひいて病院で薬をもらった。どうも飲んだ抗生物質が腸内の必要な最近まで殺してしまったので、腸が変調したらしい。酷い便秘に掛かってしまった。これが病気かどうか判断は難しいが、兎に角病院へ行って薬をもらった。

 大したことはないし、原因がはっきりしているので、お医者さんは話しを聞くだけで酸化マグネシウム薬剤を処方してくれた。だから違う病気の治療で病院に行ったついでにその薬をもらう。そうして再診料を節約した。

 これでは私が私に対する医師のようだが、それで用は足りる。最初に掛かった医師は診断行為をしたが、それ以降医師の必要はない。更に言えば最初の医師も診断するほどのことはないはずだ。

 便秘に悩む人は多いが、瞬時に診断が付く。他の病気もそうだ。医師は患者の話しを聞き、それに基づいて検査を行い、そのデータを見て診断を下す。だから医師のやることは患者の訴えを聞くのが主とした業務だ。

 そこで考えた。本当に医師という職業は今ほどの数必要であろうか。私の持病は不整脈である。その診断は簡単だ。心臓に異常があると患者が訴えると心電図を取り、それを解読すれば分かる。いつも一緒に医者と心電図を見ているから、私でも診断が付く。

 そうであれば診断システムを作成すればことは簡単だ。患者の話しをシステムに入力すると必要な検査が提示される。そしてその検査、私の場合は心電図を取る。それでその画像を解析するシステムに入れれば心房細動性の不整脈だと一瞬に結果が出てくる。

 不整脈には何種類か原因があるが、それもそう難しい診断ではない。上のようなシステムを構築すれば簡単に安価に診断が付くと思われる。私の予想ではいずれこのような診断システムが構築されて、医師はその分数を少なくすることができるだろう。

 どうしてそのような事ができるのだろうかと考える。それは医師の診断が経験と記憶に基づき、思考が必要でないからだ。思考方法や創造力はコンピューターでは作成できないが、記憶の処理はコンピューターの得意分野だ。

 コンピューターで構築された将棋や碁のシステムとトップクラスのプロが対極してもプロが負けることが多くなった。将棋を指すには作戦が必要だが、一人の棋士が無数に作戦を考えることはできない。

 コンピューターは大勢のトッププロが考えた作戦をデータとして入力、保存している。それを利用して対局しているから強いのだ。もともと人の脳はそんなことのために使うようにできていないので、こと記憶に関してはコンピューターに勝ることはできない。

 人の病気の診断はそれよりよっぽど簡単だ。確かに病気は多いが、今は内科でも循環器科、泌尿器科、呼吸器科、消化器科と別れていて、一人の医師の受けもつ分野は狭くなった。

 病気の種類は何万もない。例えあってもコンピューターにそれらの病気に関するデートを入力するのはそう難しいとは思えない。コンピューターで充分対応できるし、そんなシステムのよる診断が進めば医師の診断より確かのものになるだろう。

 時々自分の病気が何故発症するのか分からない場合がある。この間聞いた話は目に黴が生えてそれが原因で目の病気になったというものだ。こんなこともそんな原因をシステムに入れておくと誤診、あるいは診断不能という事態は避けられるだろう。

 ふぐの肝臓は美味いらしい。だがそこには猛毒が含まれていて、食べると致死率は放っておけば100%近い。だがこの治癒は簡単だ。毒はヘテロドトキシンと言って呼吸機能を司る神経を麻痺させるのだ。

 だから3時間ほど、人工心肺に患者は入っていれば良い。ある年5人がその毒にやられた。だが3人は生還して2人は亡くなった。亡くなった人を診断した医師がその治療法を知らなかっただけだ。

 自動診断システムを使用するとこのような事例はなくなるか、もしくは激減するだろう。大手の会社が病院と提携してシステムの開発に乗り出せば良い。さる大学病院では一日に6000から7000人の患者が訪れるという。これはプラセボ効果を期待する目的もあるが、如何に何でも多すぎる。

 医者は違う意味でも必要だが、今やっている診断に関する限り医師の関与は極めて小さくなる。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

大量殺戮者

次の記事

犬と猫