犬と猫

 私がまだ子供のころ、私が家でも犬や猫を飼っていた。祖母はいつも長火鉢の前に座っていて、猫が悪いことをすると長煙管の頭の方で猫の頭を叩いていたのをはっきりと思い出す。

 そのころは犬を売る店などなく、犬や猫は拾ってくるのだ。運悪く業者に捕まった猫は殺され、三味線に張るため皮を取られてしまう。今は三味線を見かける機会も少なくなったが、我が家にあった三味線を見ると猫の臍の跡があった。

 それから時が流れてペットブームになり、犬猫を飼う家も多くなった。我が家はそんな風潮にそっぽを向いていたが、子供たちが一匹の犬が後を付いて来て困るという話をしていた。

 子供が歯医者さんに自転車で行くとその犬が後を疾走して付いてくると言うのだ。そして治療が終わり、子供が出て来るとそこにその犬が待っている。30分くらいは経っていたらしい。

 ある日妻と近所を散歩していた時その犬が付いてきた。私がうっかりと尻尾を踏むと「キャン」と言って逃げて行ってしまった。それが切っ掛けだった。犬の仕草と逃げて行く時にこちらを時々振り返る姿が哀れになり、とうとう飼う決断をした。

 飼うことになり最初にしたことは犬小屋を買うことだった。犬小屋のメーカーは「寺田」と言い、組み立てるのに四苦八苦(私は組立が不得意だ)して完成した。それで犬の名前メーカー名の寺田の前を取り「テラ」と名付けた。

 テラはどこかの言葉で「大地」を意味する。我々はこの名前を気に入り、犬をテラ、テラと呼んで可愛がった。とても頭の良い犬だ。獣医師に診てもらうと甲斐犬と何かの雑種だと見立ててくれた。

 動物が一番好むものは食べ物だ。遊ぶのも好きだが、何と言っても食べ物。人間が食事をしているとテーブルの上の食べ物を狙う。その仕草が可愛いと犬を怖れ嫌がっていた妻も大好きになった。

 その犬は最後癌を患って死んだ。妻はそのことで不整脈になり、体調が優れないことが1年も続いた。それからは自分たちの寿命を考え、動物は飼わないことにした。

 今の家に越してきてから5,6年経ったころだろうか。大勢いる近所の野良猫が時々庭に入り込んでくる。その中の一匹はとても根気が良く、濡れ縁の上で中の様子を窺うのだ。

 何故我が家にやってくるかは分からない。もしかしたらこの家には飼い猫などペットがいないと察していたのかなと思うくらい毎日やってきては妻に煮干しをもらう。

 妻は猫が嫌いだ。ただ遊びに煮干しをやっただけで飼う気などなかった。その猫がまた年齢が1歳未満なのに子供を産んだ。6匹ほどもいて大切にしていたようだが、一匹また一匹と死んでゆき、とうとう子供は一匹も残らなかった。野生の過酷さをこの時知った。

 それからもその猫は濡れ縁にやってきては煮干しをねだる。とうとう根負けしてその猫に避妊手術をすることになった。まだ飼うとは決めていなかったが、その猫に哀れを催したのだ。

 近くの動物病院で手術を受け、1週間ほど預かってもらって引き取りに行くとこちらを見て「にゃあ」となく。その瞬間に私と妻はその猫を我が家に引き取る決心を付けた。

 猫が嫌いだった妻はそれから話すことは猫のことばかり。「飼ってみると猫も可愛い」というわけだ。猫の名前はテレビで「サザエさん」を見ている時に付けた。「たま」だ。「たま」は餌をくれる妻にとても懐き、妻の足を甘噛みする。

 犬と猫を比べてみると能力に差がある。頭は犬の方が良さそうだが、室内は狭いので犬はそこを走ることができない。でも猫は目に映らないくらい早く走る。音が聞こえているのに、どこに姿を隠したか見つけることができない。

 この猫はまだ歳になっていない。いつまで生きるのか分からないが、我々と競争するだろう。たまが15歳になった時、我々はまだ存命かどうかあやしいものだ。

 犬も猫も笑うことや悲しむことができない。ということは笑いと悲しみは高等な能力である。だが幸せという感覚は持っている。それに狩りは人より上手だ。我々は犬にも猫にも狩りをされたのだ。

 野良犬も野良猫もこれといった家があるとそこに飼ってもらおうと狩りの準備をして、熱心に努力をする。そして「テラ」も「たま」も成功した。家の中に入れせっせと食料を運んでくる人間には感謝はしないが、その人間が努力を惜しまないように対応する。

酒巻 修平

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