文章を作れぬ若者

 題名のような見出しが新聞の第一面のトップに載っていた。曰く「この公園には滑り台をする」という文章がおかしいらしい。それはスマホを使うことが主な原因だそうだ。

 だがそうだろうか。私は語学系の大学を卒業したのだが、尾崎紅葉の金色夜叉という小説を読んだ時、最初の第一行に知らない単語が3つもあったのを覚えている。この小説は新聞小説である。

 新聞は高等学校程度の読解力があると足りる程度の文章で書かれているので、私の文章読解力は当時の一般の人より劣っているというわけだ。確かにいつも書いているこのブログの文章も拙い。

 更に遡って江戸時代の書きものを読むとその文章の巧みなこと、驚かされる。時代と共に文章の作成力や読解力は低下し続けているのである。私が若いころ使っていた単語も使われなくなったものが多い。

 「もし」とか「人口に膾炙する」など今は使う人はいないだろう。「もし」は道で前を歩いている人に呼び掛ける言葉で、後者はポピュラーという意味だ。「地震、雷、火事、親父」という言葉ももうすぐなくなるだろう。

 ところで私の家では昔朝日新聞を購読していた。ところが文章があまり下手で、,3回読んでも意味が取れないあるいは2つの意味に取れる箇所があり、それに嫌気が射して読売新聞に換えた。

 朝日のフェークニュースを批判して購読を打ち切ったのではない。朝日の文章が分かり難いことやつの意味に取れるのは副詞、形容詞、前置詞などの置く場所が適切ではないからだ。

 昔朝日新聞はインテリ層に人気があったと聞くが、今や左系に傾いているということで敬遠されているとも言う。今インテリの人はどの新聞を取っているのだろうか。もう新聞など必要ないという人も多い。

 さて我が家にも国や地方公共団体から郵便物がくる。何かのお知らせとか書類の返送要求だが、この書類の文章がまた下手だ。文章を読んだだけでは何を言わんとしているのかはっきりとは理解できないので、いきおい電話で確かめることになる。

 その必要時間が30分。相手の時間もこちらの時間も合わせると1時間程度の時間を無駄に使う。国からの書類はまだましだが、それでも完璧ではない。電話をしても一度で理解できる内容を話す人は少ない。

 さらにさらに、テレビのスポーツ番組のアナウンサーの程度が酷い。特にNHKが駄目で、好きな大相撲を見ていても間違った文章のオンパレードだし、力士の名前はしょっちゅう間違える。ベテランアナウンサーがそうである。

 他の局でも状態は似たりよったりで駅伝のテレビで話される言葉の下手なこと。昔の高橋恵三や宮田輝などの名アナウンサーなど今はいない。若者の文章力がないという前に我々ある程度の年を重ねた者の責任も重いのではないだろうか。

 そう言えば学校で文章を書く勉強をしているのだろうか。私は小学校4年生の時に俳句を作って来いという宿題があって四苦八苦した思い出がある。そのころは中学受験をする人などほとんどいなくて、学校では遊び半分、勉強半分であった記憶がまだ鮮明だ。

 ものすごく突拍子もないが、いずれ人は話さなくなると私は思う。テレパシーを使って意思の伝達をするのではないかと勝手な想像をしている。野生動物はテレパシーで意思や情報の伝達を行っているが、人はもっと複雑なことをテレパシーで伝えることができると想像している。

 日本語に比べて英語は単語の数が少ない。だが英語は日本語と比較して進んだ言語だと思う。だいたい言語は意思や情報を伝えるためにあるのだから、それらが通じると文章力や語彙は少なくてすむ。

 日本語もそうなってきている。「やばい」という若者の言葉にはいくつもの意味があり、それでことは充分に足りている。複雑な意思を伝達するにはより複雑な語彙や文章が必要なのだが、若者はそんなものを持っていない。だから「やばい」で済むのだ。

 私は翻訳本を読むのが好きだが、翻訳した言葉は日本語の文章ではないことが多い。だがそれで通じる。文章の微妙な表現を楽しむ風潮がなくなりつつあるのではないだろうか。

 冒頭の文章「この公園に・・・」は前後の言葉から充分理解できる。これは今の人は与えられることばかりを学校で習い、与えることをすることを勉強しないからだろう。もっと大きな視野でものを見ると元凶はコンピューターということになりそうだ。

酒巻 修平

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