銀行は何処へ行く?

 ほん少し前まで銀行は大学卒業者の就職希望業種のトップであった。ところが各メガバンクがリストラの必要性を発表してからは10位以内には入らなくなった。

 個人が入社先の企業を選択する要素として第一に考えるのは会社が倒産しないでできれば自分が定年を迎えるまでは倒産しないことだろう。その他、給料が高い、仕事にやりがいがある、有名であるというような要素もあるだろう。

だが入社した企業が倒産しては何もならないし、倒産しなくても自分がリストラされると大いに困る。

 

では銀行の役目は何だろう。言い換えれば人は銀行に何を求めているのだろうか。銀行は江戸時代の両替商が始まりである。今でも円とドルの交換、すなわち両替という業務があるが、これは小さな部門である。

 

個人として要求したいのは現金を預かってもらいたいことだろう。企業は資金を融資してもらいたい。取引先への支払いとして送金してもらいたい。そんな要請が出てくる。

 

だが銀行からすれば収益の一番大きな柱は資金の企業への貸し出しだ。送金や各種業務の手数料収入もあるだろうが、それらは融資から上がる金利収入と比較して小さい。

 

以前は日本国内の企業が銀行の取引相手だったが、海外の企業への融資を初め、それが拡大するにつれ、業績も拡大した。それに連れてメガバンクなどの売上高などの数字は飛躍的に増大した。

 

だが今は世界中で資金の貸し出しをできる企業は信用状態を考慮に入れると貸出残高は大きくは増加しない。

 

それでは新しい業務を始めれば良いと思う。我々からみると銀行には資金が豊富にあって、新しい業務を開拓する余地は充分残されているが、銀行には開発を積極的に行う姿勢がないように思われる。

 

すなわち創造性がないのだ。優秀な大学の卒業者を採用することに重点を置いた人事をしているがこれが新業種を開拓できない一つの要因だろう。

 

記憶力を主として判定するような大学入試制度は優秀な人の頭脳を破壊する。そこまで行かなくてもそんな優秀であった脳を充分に活用する習慣を失くしてしまい、潜在的に有している能力を充分発揮できない。

 

理由は簡単だ。小学校1年から高等学校卒業まで一番脳が発達する時期にすることは受験技術、手法の勉強だからだ。

 

過去の天才たちがいつ偉大な発明をしたかを考察してみると、それはほとんどが若い時代である。そんな大切な時代を受験技術の習得に使うのは愚の骨頂であるのを知らない。

 

あるいは無視しているのか、銀行や役人など大企業、国務に従事する人は有名、優秀大学の卒業生がほとんどを占める。彼らにはもともと素質があったかも知れないはっきり言って創造力を失くしているのだ。

 

私の長い経営人生の中でそれを嫌というほど見せつけられた。ドイツから貨物船で日本まで何日掛かるか、六本木の全ての地域の地価総額はいくらか、明治神宮に敷いてある砂の総数は。

 

そんなことを超有名大学の卒業生は答えられない。唯一答えられたのは名もない高校卒業したという学歴を持つ人物だけだった。

 

企業の寿命は30年と言われる。銀行は江戸時代から続いたから200年近い寿命を保っているが、もうそろそろ寿命がきたみたいだ。これだけコンピューターの使用が発達すれば銀行はなくても済む存在になった。

 

人のやることを代行してやるコンピューターそのものはなくならないと思えるが、例えばエクセルなどはいつ消滅してもおかしくない。

 

人に求められるのは記憶力ではなく、思考力、想像力であり、これはコンピューターがなしえない人の作業である。

 

もうすぐAIが人の頭脳を抜くと言う思考力の浅い人がいるが、全てのデータは人力で入力されたものだ。

 

もしAIが人の知能を超えるというなら、「美」を判定できるか試させたら良い。人の体の制御機構の解明がAIにできるか。AIのシステムは全て人が構築しなければならないのに、馬鹿なことを言う人がいるものだ。

 

今企業はまともであれば資金を入手するのは容易い。企業で一番大切なのは本当の意味で仕事ができる人を確保することである。どのような人が本当の意味の能力があるか、仕事ができるか、銀行は今の内にそれを考え、実行する必要がありそうだ。

 

政府も優秀な潜在能力を持っている人の能力を如何に引き出すか、判定するか。そこに投入する資金を惜しんではならない。

酒巻 修平

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