テノール大歌手の比較
古今東西大歌手は多く排出したが、それぞれに特徴があり、味わい深いものがある。ドラマティック、華麗、技巧にすぐれた歌手など聞いていて飽きない。
日本の演歌やアメリカのポピュラーあるいはホーミーなど世界各地に種々の歌い方、音の出し方があるが、今正統とされている発声方法はオペラを歌うやり方だと言われている。
どの発声方法でも喉はきっちりと下げ、声帯の位置を適宜な位置に定めなければならない。そうでないと素晴らしい共鳴を伴わなくなるし、大ホールでマイクなしに隅々の観客に声を届けることができない。
大歌手の中でも優劣があるので、それを聞き分けていきたい。ネットでは同じ曲のクライマックスの部分を何人もの大歌手の歌を編集したものが掲載されているので、それも参考になる。
1. エンリーコ・カルーソー
何と言っても歴史上最高の歌手と言われ、カルーソーの前にカルーソーはなく、カルーソーの後にカルーソーはないと言われるくらい歌唱は完璧である。
喉は充分に下がり、微動だにしない。結果として軽く柔らかく遠くに飛ぶ声はメロディーを除外しても聞く耳に心地良い。余りの大歌手ぶりにカルーソーという歌も作曲された。リリコテノールでありながら、ドラマティックな曲も歌い、多くの大歌手も手本にしている不出世の歌手である。
2. フランチェスコ・タマーニョ
カルーソーの一代前の歌手である。蓄音機は1900年少し前に発明、製作されたから、タマーニョの録音は残ってはいるが、引退後のもので、彼の声がどのくらい忠実に再現されているか疑問である。
タマーニョはビゼーが惚れ込んだ大歌手であったようだ。カルーソーよりさらに喉を下に下げて歌っているように思える。カルーソーは高音域では音の響きを上の方に上げて歌えと本に書いているが、この歌手はそんなことをしていない。自然に音が頭部、胸部、鎖骨全体に響いていると思えるのだが、それが充分に再現していないのはその録音方法が電気式ではなくアコースティックであったためだろう。
カルーソーより偉大な歌手であったと思えてならない。ただ引退したのは50歳前後であるから、今の歌手と比較して引退時期が早すぎる感がある。ただ当時の平均寿命は今よりずっと短く、録音後何年も生きずすぐに亡くなっている。
3. ベニアミーノ・ジーリ
カルーソーが50歳前で急死したあとのオペラ界を担うこれも歴史的な歌手である。大衆の聞き手が何を求めているかを良く察知し、ドラマティックな歌唱法は取らず、リリコスピントに徹した。
高音の頭声は素晴らしく、聞くものを魅了するが、カルーソーを代表する一代前の大歌手と比較すると声帯の位置が少し前に来ている。だからビブラートが多く、そこが少し難点かも知れない。だが現在では模範的な発声法を持った歌手として手本にする歌手も多い。
4. ティト・スキーパ
ジーリのイタリアにおけるライバルと言われ、歌がとても上手いと評判を取った。だがじっくり聞くと発声は不安定で喉が下がり切っていない場合が多い。
ミゲル・フレータ
スペインでは歴史上最高の歌手である。後のアルフレード・クラウスより数段上だ。だがスペイン出身ということもあり、有名さは劣る。発声は喉がきっちりと下がり、クリアであるがダイナミックさが足りない感がある。だがこれは録音が忠実に音を再現していない所為かもしれない。
6. ラウリ・ヴォルピ
素晴らしい超高音(例えばF6)を歌える稀有な歌手で、輝かしい音色は圧倒的な迫力がある。ただこの辺りの年代になると喉が下がりきらず、ビブラートが不自然な時がある。
7. マリオ・デル・モナコ
黄金のトランペットと言われる歴史的大歌手だ。ドラマティックなテノールで、比較的最近の歌手の中では特筆に値する歌手であろう。だが年を重ねると高音(例えばC5)を歌えなくなったようだ。これは彼のコーチが理論的な指導をしなかったことによるように思えるし、モナコ自身もそんなメトードを考えながら発声するということをしなかったと思える。日本でも何回か来演した。
一代前の歌手と比べると喉の下げ方が充分でないことが高音を出せなかった理由である。
8. ジューゼッペ・ステーファノ
高音になるとプロの歌手はアクートという手法を駆使して音を出した。ステーファノはアクートをしないと言われているが、聞いてみるときっちりとアクート手法を使っている。
メッツァツア・ヴォーチェ(高音を裏声ではなく、小さく出す手法)は極めて巧妙で、私が聞いたときは最盛期を過ぎていたので、この手法を多用した。
喉は充分に下がっているので高音に無理がなかったが、一代前の歌手よりは喉の位置は高い。それだけ発声技法は低い。だがモナコと並び称せられる大歌手で稀有な歌い手であることに間違いはない。
アルフレード・クラウス
先年亡くなったスペインを代表する歌手である。ただ一代前のミゲル・フレータと比べると技術は落ちる。喉がきっちりと下がっていない時もあり、声帯がやや前側に傾いている。だからドラマティックな歌い方は全く難しく、男性さに欠けると言われる。
10.フランコ・コレッリ
素晴らしい声の持ち主であるが、発声にむらが多い。だから良い時と悪い
時の差が大きい。彼は自分の発声に時々不満を覚え、演奏活動を一時停止して発声練習をやり直したと言われている。
だがドラマティックな歌手で、聞いている分にはうっとりとさせられる歴史に名を留める歌手とは言える。
11.マリオ・ランツァ
若いことは喉がきっちり下りていて聞ける歌手であったが、年を重ねると喉が上がり気味になり、イタリア辺りの歌手とは比較ができなくなってしまった。
12.ユッシ・ビョルリンク
指導者はいたのだろうが、素晴らしい持ち声を完全には生かせなかった。歴史上名を残す歌手ではあるが、年齢を重ねるに従って、C5当たりの高音になると騒音である部分が聞こえる。声が前側に外れ、嫌なビブラートが聞こえる。
13.ルチアーノ・パバロッティ
素晴らしい歌手であるが、ひと昔前のモナコやジーリと比較すると落ちる。喉は正確に下がっているが、前側で発声する。拡声器(マイク)を使って声を伝えたのは残念であった。だが高音の輝きや声のクリアさは聞く者を魅了する。
14.プラシド・ドミンゴ/ホセ・カレーラス
やはりテノールはイタリアが本場であろうか。世界的なテノールたちではあるが歴史的とまでは言えない。二人とも喉が下がり切らず、声が耳に心地良くない。だがカレーラスは歌が上手い。
カレーラスが贔屓にしているというネクタイ屋さんにたまたま行ったことがある。その時の話しでは私の耳の感想と同様であった。
15.フアンディエゴ・フローレス/ジョナス・カウフマン
喉のポジションが上に来過ぎ、声に輝きがない。それだけ
16.アジアの歌手
中国に1,人聞いても良い歌手がいるが、やはり喉のポジションが完璧ではない。
17.日本の歌手
藤原義江:聞く中では一番まともか。ただ高音は歌わないので、そこになったらどうなるのか、どうも声帯のポジションが高くなる気もする。・
田口浩輔:低い声域では喉のポジションは良い。だが高音になると折角の声帯の位置を上に上げてしまう。残念だ。
18.番外 - フェオドール・シャリアピン
テノールではなくバスの歌手だが、史上最高の歌手と言って差支えがない。声帯のポジションとその固定方法は完璧で呼吸法その他、批評するのもおこがましい。人柄も極めて優れている
歌唱にはスポーツの部分と芸術の部分がある。歌手をINTERPRETER(解釈)と言うこともあるが、それは歌手が作曲家の精神や意図を歌に表現する担い手であるからだ。それを考えると歌唱にはやはり芸術の部分も大きいのではないか。
ここでは歌唱のスポーツの部分を主として取り上げた。だがそこに完璧な発声手法が取り入れられているとそれがすなわち芸術であるとも言える。ここが声楽の特徴で、歌謡曲などの歌い方とは違うところである。
一つ不思議に思えるのはこの世界でも絵や作曲と同様、時代が遡れば登るほど、歌手の技量が優れているということだ。カルーソー、タマーニョに勝る歌手がその前にいたと想像はできるが、今に残る録音はない。録音の発明はそういう意味で文字の発明と肩を並べるくらい重要である。
ここに書かなかった歌手でも素晴らしい歌手がいるとは思えるが全て往古の歌手である。人は進化しているのか、退化しているのか。人を動物の一種だとだけ考えると歌唱は動物として必須のことではない。
もちろん同じ考えに立つと全ての芸術は動物には不必要なことである。芸術は人が他の動物とはかけ離れて優れた脳を持っているから生まれたもので、これが衰退あるいは質が低下するのは見ていて忍びない。
酒巻 修平