花は何故咲くのか

 庭では今椿が花を付けている。いつも今ごろに花が咲くので、椿という木は多分低温を感知してその情報を自分の体の機能を働かせるのに使っているのだろう。

 これは不思議だ。というより生物がある情報や状態をどのようにして情報化して、自分の体に取り入れているのかいまだに研究もされていない。

 生物は自己複製をする系であるが、そのためには自分の生を保たなければならない。花はそのために咲くのだろう。

 動物は酸素を体に取り入れ二酸化炭素を排出する。植物は基本的のその逆で二酸化炭素を取り入れ酸素を吐き出す。

 二酸化炭素は酸素より分子量が多いので、木は永遠に大きくなるのだ。だがそれには条件があるだろう。花が咲くのはその条件の一つを満たすのだろう。

 今は一番寒い時期だ。だから温度は低い。原子や分子の活動は鈍い。それなのに花を咲かせるという機能を全うする。

 多くの木では温度は高くなると花を咲かせるのに椿などは逆で、温度が低くなると咲く。

 温度は花を咲かせる条件の一つであろう。ではその温度の低さが木の何処に情報として与えられ、どのような機序で花を咲かせるという作業に結び付くのか。

 比較的新しい種類の木では花の中に雄蕊と雌蕊が共存している。その両蕊の花粉が接触するとやがて実になり、自分の子孫が増えるのだ。

 どうしてこのような機構になっているかという進化論はまた難しい問題を提供するが、それはさておき、温度情報が木のどこかが受け、それを自身の体の中のどこかに伝えて花を咲かせることになる。

 それは解明できないのか。木の一番外側は樹皮だ。その樹皮が温度を一番先に感じるのは言うまでもない。

 それが内部構造に伝えられ、何かの処理をして花は咲く。それは人体でも同じだろう。

 寒いと思えば脳がその情報を脳の別の部分に伝え、人は厚着をする。ここでは脳の位置が情報を取り入れ、脳の他の部分が行動を起こす。

 そうすると木では樹皮が脳なのか。脳の役目をしているのか。木は簡単に実験の用に供されるので、木でそんな研究をすれば生物がどのように情報を行動に利用、変換しているのか分かるのではないか。

 今学者は脳の研究をするのにラットなどを使っているが、木はもっと手軽に手に入る実験材料だ。

 木には脳がないが、脳と同じ働きをする部分は必ずある。そうでなければ花は咲かないし、受粉が仮に鳥のよってなされても、その後の結実は自分がしなければならない。

 木の機能は人のものより単純であるから、実験や解明はより容易だと思われる。人が陥る病気に木も陥る、

 木の病気がどのようにして起こるのか、人より簡単に分かるだろう。今人が病気に罹る原因は一部を除いて解明されていない。

 ここは簡単なものから始めれば良いではないか。植物と動物では取り入れる炭酸ガスと酸素という違いはあるが、その違いは研究するには大きな障害になるとは思えない。

 植物も動物も体はコンピューターのように電気信号か類似のものか極めて単純な仕組みを使って動いていると思う。

 どんな複雑なプログラムも一行の命令の積み重ねでしかない。その一行、一行を解明すればやがて人の病気の原因や寿命の決定方式が明らかになるだろう。

 そんな思考を凝らしながら、椿の花を眺めた。何と美しいのだろう。一般に花は美しい。

 人は美をどんなものと認識し、判断するのだろうか。それはまた別の問題だ。退屈な正月休みもこんなことを考えていればあっという間に過ぎ去る。反対にこんな時でもなければものを考えることはないだろう。

酒巻 修平

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