生花

 四季折々の花が咲くように家の庭を造った。だからいつでも生花用の資材は簡単に手に入れることができる。

 私は生花を見るのが好きだ。フラワーアレンジメントという生花に似た花を花瓶に生ける方法があるが、それより日本風の生花の方に数段奥行きがあると思っているし、芸術的だ。

 そんな思いで生花を習ったことがあった。池坊流で、どこから先生を探したのか今は忘れてしまったが、会社に来てもらって教えてもらっていた。

 だがその先生の数ある弟子の中で私が一番上達しない生徒であったようだ。同じく習って一年の女性生徒の生花を見せてもらうとプロが生けたのかと思うほど上手だった。

 そう言えば小学校で絵を描くのが全く下手だったし、書道も駄目だった。自分にはそのような芸術をやる才能がないのだと諦めている。

 妻は絵や書道が上手だ。絵のデッサンなどは思わずうなるほど上手い。羨ましくて仕方がない。

 酒場で私の余興は人の笑いを必ず誘う。紙とボールペンを与えられ、猫を書いて欲しいと乞われるのだ。

出来上がった作品は自分が見てもまるで化け猫。人間のような眉毛があるし、目が怖すぎる。それを見て相客は笑い転げて、私はその方面では人気ものだ。

 

ところが鑑賞眼となると話しは別だ。どの生花が良いか分かるし、絵画の書き方を教えることもできそうに思う。

 今まで行った旅行のことなどすっかり忘れてしまうのに、小さな一点だけは覚えていることがある。

 露天風呂の左から二番目の石が良かったとか、部屋の隅に置いてあった置物が素敵だったとか、そんなことは案外思い出すことができる。

 それを誰かに話すとそれは私の頭が理数系だからと分かったようなことを言う。でも私は語学系の学校を卒業している。数学は苦手だった。

 そう言えば東大の法科を出た男も私と同じくらい絵が下手だったが、彼も文科系を専攻している。

 家の玄関を入ったところに下駄箱があり、その上には花瓶が置いてある。ただ花瓶だけで、花は中に入っていない。

 一念発起、もう一度生花を習おうかとも思うが、どうも決断が付きかねる。それは自分の才能に自信が持てないからで、何年習えば多少でも見られる生花をすることができるのか見当も付かない。

 文章も下手だ。だが訓練しているうちに少しは上手くなった。やはり何事も努力なくしては物事を達成できないのかと当たり前のように考えるが、そんな努力をしなくても簡単にやってのける人がいるのも事実だ。

 組立式の家具を買ったら、組立の手順表が付いてくる。それを見ながら組立てるのだが、それに時間くらいも掛かってしまい、取り扱い説明書を作った人の所為にするくらいが関の山だ。

 ある時リフォーム業者に組立を頼むと説明書など読まず、5分ほどで簡単に組み立ててしまった。

 どうしてそんなことができるのかと聞いたが、理由は分からないがそんなのは誰でも簡単だと言う。

 ということは私という人間は誰もが簡単にできないことをすることができない出来損ないの人間だと思うのだ。

 でも時々誰もが考え付かないようなことを考え付くことがある。だから人の才能はそれぞれだと思い、今年も生花のない花瓶が玄関の下駄箱の上に鎮座している。

 でも玄関には生花が欲しい。他人のためではなく、自分自身が帰宅した時の目の保養になるからだ。

 でも才能がないから諦めなければならない。しかし諦め切れない。そんな矛盾するような考えをして正月を過ごした。

酒巻 修平

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