勤労は幸せをもたらすか
政府は多くの間違いを犯す。自分たちは試験に良い成績を残したという間違った自負があるからか、そうでない一般の人の精神のありようを正確に捉えることができない。
些少の金を与えれば、あるいは学校を無償にすれば子供を多く作る人が増えるとでも思っているのだろう。それは全く効果がないだろう。どんなことにおいても大切なのは精神の在り方だ。
現に江戸時代、今よりよほど貧困であった人々も多くの子供を持ち、貧困でも豊かな生活をしていた。
学者の未来予想が当たらないのはこの精神というものの存在を忘れ、それをデータとして取り込まないし、取り込めないからだ。
最近色んなこじつけを付けて休日が多くなった。そうすれば人は金を使い、ひいては国の経済も良くなると考えているのだろうが、それは姑息な手段であるし、人が勤労を苦痛だと考えているといと誤解をしているのだろう。
私は若いころある会社に勤めていたが、年ほど仕事がない時期があった。毎日近くの公園に行ってブランコを乗りながら、この会社をいつ辞めようかと考えたものだ。
仕事が有意義なものであれば仕事は一種の娯楽になるし、難しい仕事を任せられれば能力を向上することもできる。
人の脳は他の動物より極めて優秀である。その脳は使わないと退屈して、碌なことを考えない。時々思いもよらない犯罪をしでかす人がいるが、それは自分が世間に受け入れられていないという状況が背景にあるのだ。
これは仕事がないことを意味し、自分の存在が無意味と考えているからに相違ない。仕事は一所懸命やれば面白いものなのだ。
私はパズルを解くのが好きだった。だんだんとできてゆく過程を楽しみながら初心者用が簡単になりすぎると中級者用からついには上級者、超上級者、プロ級に進む。楽しいが、そうなるともう上はない。
パズルは娯楽で、解いている過程は楽しいが、解いたあとは単なる満足感だけで次のパズルに移るしかない。
仕事は一緒のパズルと言えば不謹慎と思われるかも知れないが、人を動かし、資金の調達から、商品の発掘と相手との交渉。やることは色々ある。上級用のパズルだ。
私はある夜難しいパズルを解いた時、「だから何なんだ」と考えてしまった。パズルは解く過程を楽しむもので、その結果は無意味だ。そこで考えた。解いた結果も利用できるようなものはないか。
もちろん仕事はパズルとは考えなかった。私が考えたのはコンピューターのプログラムだ。構築する過程はなるほどパズルであるが、パズルを解いた結果はシステムとして会社の仕事に極めて有効だ。
それからはパズル狂を卒業し、プログラムの構築にほぼ全時間を掛けた。経理システムの自動化もやったし、在庫処理や倉庫からの出荷の手順も全部システム化して、会社はその分経費が節減できた。これは一石二鳥だった。
これは仕事だろうか。まさしくそう捉えて良いだろう。確かにパズル的な考えでプログラムを構築した。出来上がっていく過程は楽しく、どこかで行き詰まって一行のコマンドを書くのに1日掛かったこともあった。
振り返ると楽しくて毎日朝起きると今日もプログラムが組めると思う時期が続いた。しかし慣れるに従って考えることが少なくなり、今や面倒になっている。
新商品の発掘も面白かった。ある時は嵐の中16人乗りのセスナ機に乗ってウィスコンシンの田舎に行ったことがある。相手はそんな田舎に来た日本人に驚き、すぐに日本の輸入総代理店にしてくれた。
こんなことを役人や政治家は知らないのだろうか。一概に仕事は家庭を離れ、辛い思いだけをしていると勘違いしているのではないか。
確かに妻は遅く帰る夫に不満を抱くだろうが、それは生活費を稼ぐ手段でもある。そんな妻の思惑ばかりを考えていると仕事の愉しみを奪い、日本を等国にまた戻すことになるような気がする。
酒巻 修平