墜落機 イラン誤射か
イランがイラクにある米軍基地を攻撃した時に旅客機を誤射して墜落させた可能性があるという報道がなされた。
これには種々の意味、側面がある。もちろん戦闘行為は行ってはいけないことだ。アメリカのイランに対する対応をイランがどう評価したか、イランは米軍を爆撃した。
それは戦闘行為として旅客機とは関係のないことだから、とりあえず脇に置く。もしイラン軍が間違って一般人が乗る旅客機を誤って撃ち落としたとすれば、イランは国の総力を挙げて死亡者に追悼して遺族には謝意を表し、保障をしなければならない。
今イランは経済的に行き詰っている。それはアメリカが経済制裁をしているからだが、これは正しいのだろうか。
アメリカはじめ国連の常任理事国だけが核兵器を保持することを国連は認めている。他国がこの兵器を持つと処罰の対象になるということはどういうことだろうか。第二次世界大戦が終結して年以上も経つ。それなのに大戦の結果が悪い形で未だに残っているのは国連が無力ということに他ならない。
それも脇に置くとしてもイランは原油価格の低迷で経済的に良好な状態ではない。今までの蓄えもないだろう。
それなのにどうして核兵器を含む軍備を推し進めるのだろうか。それより前に一般人民の安寧を図るのが国家の役目ではないかと思うのは私だけではないだろう。
だいたい宗教指導者が政治の頂点にいることがいかがわしい。宗教というものは心の安寧を祈念するはずなのに、その指導者と称する男が戦争を仕掛けるとはどういうことだろう。
宗教の奥義は深淵である。そこで指導者がいてもそれは納得できる。しかし政治家などという人物たちがどうして国民の指導者なのか。報道機関がそのように言葉を使う度に不愉快になる。
私は政治家を指導者と考えたことがない。本当の意味の社会の指導者とは誠実にものを考え、誠実に実行する人のことを指すのではないか。
政治家やそれに纏わる官僚たちは多くの間違いを犯し、今も犯し続けている。その人物たちが本当に指導者なら、我々の未来は不幸になるのを免れない。
過去は王族たちが人民の貧困をよそに栄耀栄華の暮らしをしていた。それがフランス革命などによって消滅したのは良いことであった。国民の暮らしは国民が決定する。それが正しい民主主義のありかただが、今は王族に代わって政治家、官僚が国民の生活を左右している。
イランはこの墜落がイランの責任であると考え、証明されても認めないだろう。政治家とはそういうものだ。自国に不利益なことは他者にどんなに迷惑になっても知らぬ存ぜぬで押し通す。
国連常任理事国だけが核兵器を持っていることは是認できないが、それが拡散するのはもっと世界に災いをもたらす。それが分からないような政治家は舞台を下りてもらいたい。
イランが核兵器を完全に捨て去り、計画も消滅すればどこの国が攻めてくるというのか。国民生活を犠牲にする核兵器の開発は国のためになるのか。
それさえも分からない宗教指導者という男たちは頭脳が貧弱なのか。もし墜落がイラン軍の責任であれば、各国はイランに遺族に対する補償をするように働きかけるべきだ。
その場合国のメンツは捨てなければならない。余計な雑音を容れず、ただ遺族に補償を促すだけにすれば良い。今後の軍事行動やアメリカへの報復などは二の次だ。
そのような行動とは別にこの件に関して別の政治的思惑を他国にも絡ませさせるなら、それはアメリカの責任とも言える。
人の命は尊い。イスラム教の宗教家ならそのくらいの判断はつくはずだ。それを忘れて国家の思惑を持ち込めばイランはますます窮地に陥るし、それを間違って支援する国の政治家も忌むべき人物であろう。
酒巻 修平