自然と人工物

 自然物には直線はない。地殻の変動などで割れ目が直線になることはあるがそれは一時的(相当長期間かも知れないが、宇宙の単位でみると短期間、一時的である)な現象に過ぎない。

 それに対して人工物の基本は直線である。これは製作するに際して便利で用途を考えて効率的であるからだ。

 人の頭脳は美をどのように認識しているか誰も知らないが、基本的には人工物は自然物と比較して美を感じさせることは少ない。

 特に西欧では人が神の末裔であるとの考え方か、人が自然を支配するという思想があり、建物その他利用する物は直線で構成すること趣が強い。

 日本ではそれと反対に神道に象徴されるように自然を畏怖する精神が宿っていて、建物もできるだけ自然の形を取るように考えていた。

 自然はπが支配する領域で、星はこの法則に沿って成り立っている。光や重力も宇宙を介してπを基本として伝播する。(ニュートン、アインシュタイン)

 建築物を見てみよう。ギリシャ神殿などは基本的に直線で構成されている構造物だ。だが日本を初めとする東洋では建物の屋根さえ直線を使用しなかった。柱は耐久性を考えて直線であるが、それは機能性を考慮してやむを得ない選択だったと思う。

 今はほぼなくなったが窓も丸窓や曲線を利用した形で作られていた。機能性を考えない部分は美を意識してできるだけ直線を使用しないようにしていた。

 キリスト教の権威の象徴である西欧のキャシードラルは全て直線を基調にしているが、日本の五重塔は全体としても単純な直線ではない。

 屋根は緩やかにカーブしていて人工物でありながら、美を感じさせる。そう言えば人体という自然物も全体を支える、すなわち耐久性を追求する脊椎や脚の骨などは直線であるが、他は曲線である。

 人が女性の裸体を美しいと考えるのはそれが自然物であり、基本的にはπが支配する形であるからだ。

 木や竹の幹は体を支えるためにやや直線的であるが、それでも本当の直線は少ない。葉は勿論曲線であるし、枝は撓むとこれも曲線だ。

 脳は美をどのような機序で感じるか、人の制御機構を解き明かす時に通過する難問であるが、美は発達した頭脳と生まれついた自然感が関与しているのは間違いない。

 だが日本の建築にも曲線は少なくなった。建築費が高いというのが理由であろうが、日本人が費用を掛けてまで美を求めなくなったのだろう。

 そういえば一番身近な自然は日本庭園であろう。それも構築する人は少なくなった。健康にはあまり良くないコンクリートを使い、木造物より早く崩壊するような建築物を何故作るのか疑問である。

 障子からは薄っすらと陽の光が差し込み、そこにも自然のかけらがあった。そう言えば匂いを建築物に取り入れたのは日本の他にないように思える。

 畳がそうで藺草という自然物を匂いが残ったまま使っている。玄関にも香を焚いて人の気持ちを和らげた。

 西洋の裕福な人は女性の体には香を用いたがどうして建築物や住環境にはそうしないのだろうか。

 日本人はより自然を愛し、接することにより美意識は西洋人より勝っていると思う。しばらくアメリカのインテリアの本を購読していたが、あまりのごてごてした装飾に嫌気が差して止めてしまった。

 そう言えば空間も曲線であろう。その空間を建築物に取り入れることは一つの贅沢だ。人の体に合う空間を上手く配置することにより建築物の価値や美が増すと思われるのに、その意識はだんだん薄れてくる。

 これからは高層マンションが増えてくると思う。それはより多くの人に住居を提供する便利な建物だ。しかし便利さと美は両立しなければならない。片一方だけでは人の生活に安らぎを感じられない。

 Rolling stone gathers no moss. (活動している人余計なごみは付かない)

 君が世は苔の生すまで     (安定した世が長く続きますように)

 上は西欧の考え方で、短期的な考え方だ。下はご存知の本の国歌で長く安定して世が続きますようにということだ。

 単なる至便性を取るか美を取り入れた建築物に住むか。人の心はどちらを求めるのだろう。

酒巻 修平

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