鳥は良く知っている

 狭い庭の造園を何年か掛かってやってもらった。あまり予算がないから、一年に少しずつやってもらったのだが、それも一昨年あたりで終わった。

 やってもらっている時は自分の意見なども言って楽しかったが、終わってしまうとそれを鑑賞するのは作っているほど楽しくはない。

 庭が多少でもあれば精神に余裕があるくらいだと思っているが、そうなると毎日ほどやっていた水撒きも途絶えてしまった。

 庭には雑草が今でも枯れないで生えている。ちょっと時間を掛ければもう少しは綺麗になるのだろうが、一度失った興味を取り戻すのは難しい。私は我慢を余りできないタイプらしく、少しずつでもやれば綺麗になるのだがと思っても取っ掛かれない。

 そうなると植えた木は伸び放題。まるで原始林だ。だがそれを好むのだろう、やってくる鳥の種類や数は増えた。

 鳥を見るのは楽しくて手間が掛からないから、来るのは歓迎である。百舌鳥や十姉妹は冬になると必ずくる珍しくもない。最近そいつらに交じってほんの少し緑掛かったのがやってくる。

 隣の家では鶯が春になると鳴く。去年は私の家の裏でも鳴いた。もしかしたらその名前が分からない鳥は鶯ではないかと期待している。春になって鳴きだしたら分かるだろう。

 居間から見える近場に手水鉢が置いてある。枯れた葉が沢山その中に落ちて入っていて、鳥はどうも水浴びができないようだ。

 仕方なく重い腰を上げて手水鉢の水を替えてやった。この辺りは砂ぼこりが多くて、水は濁っている。匂いも悪い。鳥はその匂いを嫌ったのかも知れない。

 昨日柄杓で水を汲み出し、新しい水を入れてやった。我が家には井戸があるから水は只だ。全ての泥は取り切れなかったが、水は匂いがしなくなって、綺麗になった。朝食を摂っているとその手水鉢の縁に百舌鳥が止まっている。見ているとそのうち水浴びをし始めた。

 どうも鳥は二回だけ水に入り羽をばたつかせる。回以上はやらない。百舌鳥はどうして水が変わって綺麗になったのを知っているのか、不思議だ。

 一匹が終わるとどこかに飛んでいく。もう行ってしまうのかと心残りで見ているとそのうちまた来た。そして水浴びを始めた。一回に二度も水浴びはしないからこれは違う鳥だと分かる。

 そうしていると、もう一匹がやってきた。近くの枯れ枝にとまって水浴びをしている一匹が終わるのを待っているようだ。

 だが水浴びをしている鳥が終わっても飛んできて、手水鉢の縁にとまったまま水浴びをしない。それで分かった。こいつは先ほど来たやつだ。

 二匹は番だと思う。本には鳥はいつも夫婦一緒に行動すると書いてあったので、そう思ったのだが、あまりに似ていてどっちがどっちだか区別は付かないし、雌雄も判別できない。

 百舌鳥は大きいから強い。小鳥がそこら中の木にいるが、手水鉢には近寄らない。百舌鳥に殺されない注意をしているのだろう。

 それからしばらく仕事をしてふと見ると先ほど木にとまっていた小鳥が、手水を使っている。

 小さくて鶯色をしている。目白ではない。この種類は一杯いる。これがもし鶯なら、春から夏に掛けて良い声で鳴いてくれるだろう。

 野良猫上がりの我が家の猫がそれを見ている。隙あらば飛び掛かろうと身構えていて、懸命に小鳥の姿を目で追いかけている。

 そこには段ボールの箱が置いてあり、陽がさんさんと照っている。猫には最高の場所だ。先ほどまで気持ちよさそうに寝ていたが、時間が分かるのかいつも鳥を見つける。

 私が猫の手を持つと嫌がって引っ込める。何度かそんなことをやったら、腹を見せてひっくり返ってしまった。平和な光景がそこにはあった。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です