男と女の歴史

 世の中を動かしているのは男か女か。色々な見方があるが、表面上はつのフェーズがあるように思える。

 大昔は農業用地の開墾や食料とする獣の捕獲のため、労働力がいくらでも必要だった。その労働力になる男を生むのは女であるので、女が社会の中心にあった時代が続いたのは間違いない。

 社会は多くの男を必要とした。だからその男を生む女が極めて貴重だった。だがいつしか女だけで子供を産むことはできず、子供を持つには男も必要だと悟った。

 それからは労働力であり、知力も優れていた男が社会を牛耳るようになった。女が社会のリーダーであった時は戦争がなかったと言われているが、それは確認していない。

 だがアメリカの誕生と同時にこの状態も変化し始めた。アメリカは移民の国で男が少なく、女は取り合いになっただろう。

 すると需給の関係で、女が尊重されるようになり、関係が逆転した分野も出現する。その関係が男女同権という思想に発展していった。

 日本やアジアの国ではその思想の普及は遅かったが、今は追いついている。イスラム国やアフリカもいずれそうなるだろう。

 女が社会の中心に出るのはこれが二回目だ。だが前回、社会のリーダーが女であった時代と今では社会の状態が全く違う。

 農業が発達して、食料となる野生の獣を捕獲するより飼育した方が効率も良いものだから、食料は主に人工的になった。

 昔必要だった男の労働力は機械の発明、使用と相まって必要性が極めて少なくなった。労働力としての男は無用に近くなったのだ。

 女が社会の中心に出て来るまでの歴史時代は主に男の社会だった。男が全てを取り決め、実行した。女は男の付属品のような状態だった。

 日本では女は自分の名前さえない時代が続いたのはこの状態を指す顕著な例だ。ヴェネツィア共和国では美人は登録制になっていて出国は禁止されていたほどだ。

 だがこの男尊女卑の制度が女に利益をもたらさなかったかと言えば、何とも言えない。これは社会がより効率的な動きをするための要請であったからだ。男または女の何かの種類の欲望を満たすためとは違う。

 だが現在の男女同権は女の欲望を満たす手段として成立したものだ。女も社会に出て働きたい。もっと男並みの楽しみを享受したい。そんなことが背景にあると思われる。

 男と女の能力の種類は違う。男尊女卑と言われた時代。本当に男が社会をリードしていたのかと分析すると疑問が残る。

 子供が生まれると余程裕福な家庭でない限り、お母さんは子供を自ら育てた。その間にはお母さんの考えや行動が子供に大きな影響を与えてことに異議はないだろう。

 だから子供が大きくなり社会で活躍するようになっても、その男の思想や行動はお母さんに影響された部分が大きい。

 すなわち次代を担う男を通じてお母さんである女はかなりな部分社会を牛耳っていたのが実情だ。女の力は男を凌駕していた。

 なお、結婚した後も妻の影響は無視できない。夫は妻におだてられ、外で懸命に働く。女はその夫に働かせて生活をリードしただろう。

 30年も前には日本でも夫が会社からもらってくる給料を全て妻に与え、夫は小遣いを多少もらうだけだった。

 これから女はもっと社会に進出するだろう。だが少し考えた方が良い。同権というのは同義務を含んだことなのだ。重い荷物も車に上げ下ろししなければならない運転手の労働は女には大変だと思う。

 今までのように夫たる男をできるだけ働かせて自分は三食昼寝を目指したらどうか。最近電車に乗ると顔をしかめたような女と薄ぼけた顔をした男が大勢目に付く。これは女が幸せでないこと、男が能力一杯働いていないことを意味しないだろうか。

酒巻 修平

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