センター試験 最後の冬

 我々のころにはなかった共通一次とか大学入試センター試験が今回で最終回になるとのことのようだ

 来年からはより思考力を重視した大学入学共通テストに衣替えをすると言う。だが企画するのはどうせ文部科学省の官僚だろう。

 彼らは思考力のテストなど受けずに記憶のみを頼りにした共通テストを受けてきたはずだ。

 方向性は正しい。人の頭脳を如何に使うかは記憶、思考、創造と段階を追って高度になる。今の官僚はその一番程度の低い記憶力ばかりをテストされ合格した人たちばかりだ。

 中には例外もいるだろうが、彼らには物事を思考するあるいはもっと高度に創造するという訓練がされていない。

 試験を作るのは誰か分からないが、大学の教授と言っても知っている限り、記憶力だけが勝っている人たちだけだ。彼らが試験を作れるのかどうか疑問である。

 中国の昔にあった科挙の試験は思考、想像力を無視したもので、それで中国の近代化が遅れてひどい目にあったのは知る通りである。記憶は単に情報の集積でしかない。その情報を分析、統合して初めてその情報が生きてくる。それがなかった。

 東京大学の前身は異論があるにしても昌平黌である。そこでは各藩は優秀な若者を選りすぐって学ばせた。

 我々が若いころの東京大学の卒業生は優秀だった。それが受験技術を教える予備校なる存在が優秀な大学の生徒の能力を落とした。

 この学校の卒業生は頭でっかちで、全く役に立たない人が多い。私は身を以て体験しているから分かる。

 この間アメリカ人と話した時、しんな話題になった。彼曰く東京大学は日本一かも知れないが、世界ではたいしたことはないとのこと。加えて日本人の工学的能力は素晴らしいが想像力には全く欠けると言われショックを受けたものだ。

 日本は江戸時代には世界第一と言っても過言ではない文明国だった。浮世絵は西欧の画家にショックを与えるくらいレベルが高く、画家たちはこぞって模倣に走ったものだ。

 それから文化や学問の西欧化が進むと全てが西欧の模倣に落ち、日本の文化の程度は西欧の下になってしまった。

 今度は第二次世界大戦だ。一度の戦争に敗れたくらいで、日本の政治家や官僚はすっかり自信をなくし、欧米の後を追うことに汲々している。

 もういい加減にしないか。記憶など実社会では何の役にも立たない。そんなものはネットを検索すればいくらでも出て来る。

 その情報を元にして思考を凝らし、新しい文物を作り上げることが先進国には求められるのではないか。

 いっそのこと大学入学共通テストの問題はアメリカ人にでも依頼してはいかがか。彼らは人の模倣を好まず、一つの業種に集中して事業を経営しようとする傾向が少ない。

 少なくても自社の特徴を生かした物作り、ソフト作りを考えるだろう。日本の官僚や大学教授が作るテストでは今と同じだ。そのうちに類型化した問題の解答は考えることなく解けるような受験対策が講じられると思われる。

 そんなテストを作るのも採点するのは今までのシステムと比較して費用が何倍も掛かるだろう。

 だが未来を担う若者の思考力、創造力を育むにはそのくらい覚悟しなければならない。

 最近ものを考えている若者にあったことがない。今後共通試験の傾向を変えようと努力するのは買うが、今の思考力0の若者を作った責任は文科省にあるのではないか。

 新しい試験は彼らを外して実行されなければならない。日本国100年の大計を打ち立てるには文科省は邪魔なだけだ。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です